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小説:コトリの薬草珈琲店 2-1

2章 奥大和のクロモジ


 琴音の薬草珈琲店で使う薬草のほとんどは、農家から直接、もしくは間接的に仕入れている。自宅の庭で採れた薬草は一部の商品にしか使わない。そして、自然の中で採れる”野草”においては、使わないと決めている。それは、自分の店が不特定多数の客が来る飲食店であり、できるだけ品質の安定した食べ物・飲み物を提供したいからだ。

 また、琴音には野草を使わない「個人的な」理由もある。人間の手で育てられていない野草は「何を言っているかが分かりづらい」のだ。例えば、道端にあふれる葛(くず)のツタの淡い輝きに手を触れて、<◎〇&×☆!>といったような理解の難しい言葉が頭に飛び込んできたことがあった。その時は状況から推察して、葛のツタや葉がアスファルトの道路にあふれ出てきていて、土がなくて困っているようだった。でも、畑の植物だったら<ツチガナイ>くらいは教えてくれるだろう。

 琴音は、自然の中に生きる野草の採取は上級者向けだと考えている。植物に詳しい先生と一緒にフィールドワークをする場合は全く問題がないのだけれど、生半可な知識で臨むと痛い目に合うことがあるからだ。植物に詳しくない人間なら、下痢と便秘の両方に効くとされるゲンノショウコと、猛毒のトリカブトを間違えてしまうかもしれない。花を見れば分かるのだが、葉っぱだけの季節には見分けがつきづらい時がある。そして、誰しもが琴音のように植物と会話できる能力を持っている訳ではない。

 ・・・そんな事をぼんやりと考えながら、琴音は今、自動車を運転している。季節は9月、夏の朝。

 琴音が乗っているのは、昔から使っている黄色い4WDの軽自動車。母親が残した車だ。若者が仲間と楽しげにドライブしても良いような車種ではあるけれど、そんな使われ方は全くされていない。かつては母や凛と楽しくドライブしていたこともあったが、現在はほぼ、移動する倉庫となっている。

 後部はフラットとなってレジャーシートが敷かれていて、その上に何かを運ぶ時のためのカゴが複数個。小さなスコップ、長靴、軍手。ハサミ。ノコギリ。一見、何のために使うのか分からないような麻の紐など、そういったものが少しだけ整理整頓された状態で積み込まれている。助手席には、いつものリュックが大人しく座っている。

 5時に起きて出かける準備をして、奈良市の自宅を出発。現在は7時過ぎ、奈良市から南へ約60kmほど下った天川村を移動中だ。奈良県の中央には東西に吉野川が流れており、そこで大きく南北に地形が分断されている。北部は奈良盆地となり、藤原京や平城京といった巨大な都がかつて存在した場所となる。

 一方、琴音が現在車を運転している奈良南部は山岳地帯で、大台ケ原を筆頭に切り立った山々が連なっている。この天川村も、どこを見渡しても山ばかりの村だ。そのため、林業が主な産業となっている。そして、その一部の林業家が薬木としても有名なクロモジを育てている。

 しばらくして、少し大きな空き地が見えてきた。琴音は車のスピードを落としてゆっくりとハンドルを切り、砂利の敷かれたその空き地に車を停車させた。大柄な男性が笑顔で近づいてくる。ドアを開けて車の外に出て、天川村の空気を吸い込む。奈良市の自宅の空気も悪くはないが、天川村の空気は透き通るような美味しさだ。琴音は男性に軽い会釈をした。

「今里ちゃん、遠いところありがとう」
「そんな、谷村さんこそ早い時間にありがとうございます。」谷村さんはクロモジの栽培も行っている林業家で、自分自身でクロモジ茶なども販売している人物だ。彼はいつも琴音のことを苗字で呼ぶ。
「ほんなら、さっそく見てみる?」
「はい、よろしくお願いします」
谷村さんは近くに止めてある軽トラの荷台の段ボールを開けた。内側に大きなビニールの袋が敷かれていて、その中には葉っぱが小枝とともにたくさん詰まっている。クロモジの葉と枝だ。
「わ~、開けた瞬間にいい匂い。」琴音の顔がパッと明るくなった。
「よかったよかった。9月やけど、いい葉っぱが残っててん」
「よかった~。助かりました。急に取材が入ってしまって、新鮮なクロモジの葉っぱが必要になったんですよ」
「そうなんや。クロモジは爽やかな香りやからなぁ。夏にピッタリかもなぁ」
「ですね笑・・・あ、よかったら、せっかくなのでここでコーヒー飲まれます?」
「えっ、そんなことできんの?」
「はい、ちょっと待ってくださいね」

 クロモジの箱に向かって、琴音はまず、こっそり挨拶をした。「こんにちは、よろしくね」と心の中でささやく。<ヨロシクネ>とクロモジ。お行儀がいい。谷村さんに丁寧に育てられているんだろう。今から薬草珈琲として飲まれてしまうのに、寛容だなぁとも思う。そんな植物だからこそ、感謝の気持ちを忘れないでいたい。琴音はいつもそう思っている。

 コップをふたつ。それぞれの上にキャンプ用の折り畳み式ドリッパーを乗せる。無漂泊の茶色いフィルターをひとつずつ、それぞれにセット。すでに店で挽いてきたコーヒー豆を分ける。およそ、15gずつくらいの分量。そこに、谷村さんが乾燥加工してくれたクロモジ葉を手で粉々にして入れる。目分量で、それぞれ3gずつ程度。コーヒーの粉と少しだけまぜる。そこに、運転中に沸かしておいた携帯型電気ケトルのお湯を注ぐ。まず、目分量でそれぞれ60mlずつ。少し時間を空けて、残りをすべて均等に。ケトルに300mlだけお湯を入れてきたので、150mlのクロモジ珈琲がふたつ、出来上がり。

 谷村さんにひとつを渡し、琴音も自分の分を手にする。
「うまいな~」
「美味しいですね」
 すがすがしい森の朝に飲む薬草珈琲が、美味しくない訳がない。

「今里ちゃん、これ、榧(かや)の実。」谷村さんは数十個の榧の実の入ったビニール袋を軽トラの荷台から出して、琴音に差し出す。
「すご~い」
「樹齢300年だから」
「300年!・・・これ、どうしたらいいですか?」
「いい匂いやろ?ウォッカにつけてお酒にしてもええし、乾燥させてお菓子にしてもええし。あと、薬草珈琲、専門やろ?」
「コーヒーかぁ。榧の実の香りを活かせるもの、作れるかなぁ・・でも、ちょっと考えてみます!」こんな感じで、新しいメニューのヒントが手に入ることもある。

「でも、今里ちゃん、なんで薬草珈琲やろうと思ったん?」ふと、谷村さんが聞いてきた。
「母と一緒に薬草茶を習っていて、日常的に飲んでいたんです。クロモジ茶をはじめ、クマザサのお茶、コーン茶とか。そして、薬草によっては、ベースのお茶と組み合わせていたんです。緑茶、ウーロン茶、ほうじ茶などに薬草を加えるイメージです。で、気づいたんです。コーヒーをベースにした薬草茶・・がないなって」
「気づいちゃったと」
「はい。それで、コーヒーと薬草を組み合わせて色々試したんですが、結構、美味しい組み合わせがたくさん見つかって」
「なるほど」
「母もちょっとした不調にあわせて薬草茶をブレンドしていたんですけど、その特技はどうやら私も持っていたみたいで・・」薬草の声が聞こえるなどとは言えないので、無難な説明を続ける。「母が亡くなってから、誰かを救いたいという気持ちが強くなって、私にでもきることを始めようと思ったんです」
「そうかー、お母さんを亡くしてたんか」
「はい・・・母が亡くなった後は、もし、もうちょっと早く気づけていたらとか、薬草茶でもっと早くから体調を整えられていたらとか、そんな後悔の気持ちが大きかったです。でもしばらくして、それが、他の人を助けたいという気持ちに変っていって」
「薬草珈琲で人助けをするってことに繋がったんやな。ええやんか。お母さんもきっと、喜んでるで」
「ありがとうございます。・・・あと、薬草ってハードル高いでしょ?」
「せやなぁ。まだまだ一部の人にしか知られてないからなぁ。僕もクロモジを育てておきながら、ちゃんと効果が分かってる訳ではないもんなぁ」
「それをコーヒーっていう分かりやすい、誰もが好きなものとミックスして、薬草を多くの人に知ってもらうということも考えているんです」
「確かに、薬草茶に比べるとコーヒーは分かりやすいもんな。今里ちゃんにも、いずれは、大手の飲料メーカーから声がかかるんとちゃうん?」
「ふふ。そうなったら嬉しいですけど、多分、難しいと思います。まず、薬機法という法律があって、こういう食材は効果を明言したらダメなんです。だから分かりやすく売ることができなくて」
「それな。僕のところはあまり関係ないけど、面倒くさそうやなぁ」
「あと、供給量のこともあるでしょう?」
「供給量か・・・それなぁ。」谷村さんはちょうどクロモジ珈琲を飲み切ったこともあって、少しトーンを落として会話を終了させた。

 琴音は箱の中のクロモジを写真で撮り、「本日の収穫<クロモジ>」という文字を添えてバイトの佳奈に送った。朝の7時30分。トランクにクロモジと榧の実がちゃんと載っていることを確認し、トランクの扉を閉める。バタン。

 谷村さんとお金の支払いの話をして、お礼をして、いつもの運転席に身を滑り込ませる。母が残したこの車にはたくさんの思い出が詰まっていて、琴音を幸福な空気で包んでくれる。

 空き地から車を出す。10時の開店準備までまだ余裕がありそうなので、琴音はちょっと寄り道をすることにした。観光地としても有名な、洞川温泉の方面へ。

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