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小説:コトリの薬草珈琲店 3-1

3章 田道間守の橘

 11月の晴れた日曜日、昼過ぎ。いよいよ冬服が欲しくなるような肌寒い空気の中、琴音は近畿日本鉄道・西ノ京駅の駅前でスマホを触りながら時間をつぶしている。駅前と言っても都会の駅とは違い、目の前にはすぐに大きな寺が見えている。創建が680年、奈良時代の初期に平城京に移転された薬師寺だ。その東塔は奈良時代から残るもので、国宝に指定されている。

 この薬師寺のあるエリアは、ならまちからおよそ4kmほど西に位置している。奈良朝の中枢区域である平城宮から見ると、ならまちは東(平城京外京)、薬師寺は西(平城京右京)に位置づけられる。平城宮は現在、平城宮跡歴史公園として散策や史跡の見学を楽しめるエリアとなっており、その南部の朱雀門広場では色々なイベントが開催されたりしている。平城京と平城宮は名称が似ていて混同しやすいので注意が必要だ。

 今、琴音のスマホに凛からメッセージが届いた。「もうすぐ着きます。川原君と佳奈ちゃんも合流済み笑。」駅か電車の中で出会ったんだろうなと、琴音は微笑みながら想像する。今日は四人で散策する予定だ。本当は琴音と凛の二人だけの予定だったが、琴音が佳奈の前でその予定をつぶやくと佳奈が行きたいと飛びついてきて、凛が会社で週末の予定をべらべらとしゃべった際に川原君が是非とも行きたいと言ってきた、という流れだ。

 琴音のポケットの中に、大和橘(やまとたちばな)の実が4つ入っている。大和橘は日本古来種の小さな柑橘類で、金柑サイズのミカン、のように表現ができるかもしれない。その小さな果実たちを手のひらに載せて、改めて挨拶。「よろしくね」と琴音が言うと、橘の実は淡く輝きながら<ヨロシクネ><ヨロシク>と言葉にならない言葉を発した。

 やがて、橿原神宮前行きの電車が西ノ京駅に到着し、年配のグループが何組か琴音の前を通り過ぎた。電車を降りた客が上ってくる階段を見ていると、見慣れた凛の顔が見えてきた。「よっ」と言うように凛が手をあげる。その後に、バイトの佳奈、凛の同僚の川原君が続く。川原君は名刺や店舗のデザインを一部依頼している関係でお店にはよく来てもらったのだけど、このように店の外で会うのは初めてだ。

「コトリ、ごめん~、待った?」
「ぼーっとしてたから大丈夫。というか、まだ待ち合わせ時間の前だし笑」
「よし。じゃあ、行きますか。」凛の号令で全員が動き出す。

 本日の一つ目の目的地はこの目の前にある薬師寺ではなく、薬師寺のすぐ北に位置する唐招提寺だ。中国の高僧だった鑑真が開基となる。鑑真が日本の使者の熱意に押され、そして、日本の現状に憂いて我が国へと渡ったのが753年。5回の渡航に失敗し、視力を失いながらもあきらめず、6度目の渡航でとうとう来日されたというエピソードはあまりにも有名だ。

 鑑真の来日の主目的は乱れていた仏教を戒律をもって正すことにあったが、1,200もの漢方薬の元となるレシピを日本にもたらし、日本の漢方の基礎を築くきっかけとなったことはあまり知られていない。それらは平安時代の医学書「医心方」へと受け継がれ、長きにわたって日本の医学の礎となった。

 今日集まった4人は全員が奈良県民のため、唐招提寺のこともうっすらとは知っている。そのため、今回の第一目的地については取り立てて話題にせず、ブラブラと歩を進めていった。薬師寺のあたりから唐招提寺に赴く際に通る小路。途中にある蕎麦屋さんに人が並んでいるのを見て、「ここ人気だよね~」「美味しいよね~」などと何気ない会話をしながら歩き続ける。

 やがて、唐招提寺の入り口に到着。それぞれ拝観料を支払い、広い境内に足を踏み入れる。入り口に近い西側のエリアに、薬草園が設けられている。薬草に詳しい有志が中心となって、整備を続けている薬草園だ。琴音や佳奈の薬草の先生がこの薬草園のメンテナンスを手伝っているということで、一度は見てみようとの訪問だ。

 正式な僧になるための儀式の場、戒壇。石段だけを残しながら、現在もその跡地が存在する。唐招提寺の南西のエリアだ。その戒壇を右手に見ながら小路を進むと左手に薬草園が見える。

 4人は思い思いのスタイルで、しばらく、薬草園を楽しむこととした。佳奈はマニアックな勉強家だけあって、何やら必死にメモをとっている。川原君はデザイナーだからなのか、スマホで植物の撮影に熱中している。凛は歩きながら、唐招提寺の空気を胸いっぱいに吸い込んでいるようだった。琴音は・・・こっそりと植物との世間話を楽しんだ。

 しばらくして、佳奈が琴音に声をかけてきた。「これだけ広いと春から秋までのメンテナンス、大変じゃないっすかね」
「雑草抜きとか?大変そうだよね。十何人かのボランティアの人が手伝っているって先生も言ってた気がする」
「ですよねぇ。・・・でも、鑑真さんのお寺に薬草園があるってことに価値がありますよねぇ」
「そうそう。ほんと、そう思う。そしてもし、発掘など考古学的なことが進展して奈良時代の薬草園の様子が分かってきたら、この薬草園も、奈良時代の薬草園っぽくアレンジしていってもいいかも」
「いいですねぇ、ロマンですねぇ」

 さらにその場で数分ほど時間を過ごしてから、4人は薬草園を出た。そして、境内の中央に構える金堂へと進む。金堂に着いてしばらくして、金堂の左手へと凛が手招きする。
「ねえ、みんな。私、この千手観音さん、昔から好きなんよ~。めっちゃカッコいいねん」
「おぉ、確かにカッコいいっすね」佳奈も同意する。琴音も、金堂内の暗がりに浮かぶ千手観音のお顔や姿を目を凝らして拝んだ。確かに、りりしいお顔に均整の取れたプロポーションをお持ちでいらっしゃる。いわゆるイケメンなのだろうと琴音は思った。

 すると、そんな3人に、川原君がツッコミを入れる。「みなさん薬草珈琲の関係者なんで、薬師如来さんにもお参りしてくださいよ~笑」
 ほんまや、などと言いながら、4人で笑った。

 次は開山堂へ。そこでは鑑真和上の姿を写した「御身代わり像」を拝むことができる。4人はそれぞれの想いを込めながら、手を合わせた。

 唐招提寺はなかなか広い。開山堂からさらに東に進むと、だんだんと木々の緑が深まり空気が潤っていく。その最も奥に、鑑真和上御廟がある。いわゆる、鑑真さんのお墓だ。税金逃れのための勝手な出家を戒めるために戒律を整備し、薬草や建築の知識を広めることにも尽力されたと言う。当時の聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇という日本国のトップ3も、その授戒を受けた。鑑真和上は奈良時代の日本のアップデートに人生を捧げた熱い男だったのだろう。この静かな御廟を目の前にすると、そんな彼に対する感謝の念が自然と湧き上がってくる。4人は思い思いのスタイルで、その謝意を表現した。

 お参りを終えた一行は、唐招提寺の入り口へと足を向ける。
「しかし、広いっすね〜」と佳奈。唐招提寺に入ってから、すでに30分以上が経過。ずっと歩き回っている。琴音は疲れたのか、元気のない笑顔だけ返した。
「琴音さん、疲れてないですか?大丈夫ですか?」と、琴音は不意に声をかけられた。声の主は川原君だった。「なんか、そのリュックが重そうに見えて」
「ありがとうございます。後でみんなに薬草珈琲を楽しんでもらおうと思ってお湯を持ってきたんですけど、やっぱりちょっと重いですよね」と琴音も返す。
「よかったら、そのお湯、持ちましょうか?僕は今日、スマホしか持ってきていないんで」
「え?でも、次の場所までそれほど遠くないので、大丈夫です」
「分かりました。良かったら持つので、また言ってくださいね」
「嬉しい。ありがとうございます。」琴音はそんな気遣いを受けて、少し元気を取り戻した。

 唐招提寺を出て西に向かうと踏切が見える。踏切を越えてすぐに右に曲がり、その線路沿いの小路を北上。小さな畑をいくつか横目で見ながら数分ほど歩いていくと、だんだんと視界が広くなっていく。いわゆる空の広い、緑の多い、奈良らしい風景だ。そして、その先には水の豊かな濠に囲まれた大きな古墳が見える。垂仁天皇陵だ。

 道沿いには何人かのカメラマンが、三脚に備え付けられた愛機を構えながらシャッターチャンスを狙っている。もうすぐ電車が通るのだろう。そんなカメラマン達の様子をちらちらと見ながら、ようやく4人は古墳がよく見える場所に到着した。

 垂仁天皇陵。別名、宝来山古墳。宮内庁により、第11代垂仁天皇の陵とされている場所だ。全国では20番目の大きさの前方後円墳で、四世紀、古墳時代の築造とされる。周囲は豊かな水量を誇る大きな濠で囲まれ、さらにその周辺には田畑も多く、視界が開けた場所となっている。古墳は小さな森のようにも見え、その背の高い木々はたくさんの鳥たちが羽根を休める場所となっている。

「川原さん、あの小さな島、ご存じですか?」琴音が川原君に声をかける。
「いやぁ、知らないです。古墳の側に浮かぶ小さな島。何か特別な意味でもあるんですか?」
「あれは、田道間守(たじまもり)さんのお墓だと言われているんです」
「田道間守さん」
「はい。田道間守さんは垂仁天皇に仕えていた方なのですけど・・・もちろん、古墳時代なので、さっきの唐招提寺よりも昔の話です。田道間守さんは垂仁天皇に不老不死の果実を探す課題を与えられ、常世の国へと向かいます。そこで黄金色に輝く非時香菓(ときじくのかくのみ)を見つけて戻ってくるんですけど、時間がかかりすぎたためか、垂仁天皇は亡くなってしまっていました。悲しみに暮れた田道間守さんも、そのお墓の側で亡くなってしまったというお話です」
「知らなかった。ちょっと悲しいお話ですね」
「はい。ちょっと悲しいお話です・・・ですが、そんなお二人が静かに、寄り添いながら眠っていらっしゃるのを見ると、現代に生きる私たちは少し温かな心にもさせてもらえる。そんな見方もあるなぁと思っています。」琴音は墓陵と小島を遠く見渡しながら、自分の想いを述べた。空には絵にかいたような青空が広がっている。
「なるほど・・・パッと言葉にはできないんですが、心に響きました。」川原君は知を巡らすような面持ちで、琴音の言葉を味わっているようだった。そして、こう付け加えた。「琴音さんの考え方、素敵ですね」

 琴音はその言葉を笑顔で受けながら、話を続ける。「ねぇ、川原さん、そんな非時香菓ですけど、本物を見てみたいですか?」
「え?その不老不死の実を見せてくれるんですか?」
「この子です。大和橘の実」
 琴音は、ポケットから橘の実を取り出して、川原君に手渡す。川原君は「おお、これが?」とか「小さくてかわいいねぇ」などと言いながら、色々な角度から橘の実を愛でた。
 琴音が解説を続ける。「非時香菓なんですけど、この大和橘のことではないかと言われています。大和橘は日本固有の柑橘なんですけど、最近はその保全に力を注ぐ人が増えてきていて、このように果実も手に入りやすくなってきたんです」

「ちょっと川原君、気づいてくれないの?」と、凛が割り込んできた。
「何が?」
「この子は、と・き・じ・く、のかくのみって言うでしょ?」
「・・・あっ、琴音さんのお店の名前か」
「そうだよ〜。名刺とか自分でデザインしてるんだから、気づかなきゃ笑」
「うちの店名、凛ちゃんがつけてくれたんだよね」と琴音が補足する。

 2年前の開店に向けて、かつて、琴音は店名を色々と検討していた。店の近くにある元興寺が曼荼羅(智光曼荼羅)で有名だということもあって「マンダラ薬草珈琲店」にでもしようかと考えていたことがあった。でも、凛にそれはちょっとマニアックな語感になってしまうかもと指摘されて、最終的には凛のアイデア(=ときじく薬草珈琲店)に決まったという訳だ。凛が奈良の薬草や薬木を色々と調べて、最も店名にふさわしいと思えるネタを見つけてくれたのだ。

 薬草珈琲をきっかけに、できるだけ多くの人に長生きしてもらいたい。そんな願いも込められた店名になったと琴音も思い、その名前に決定した。

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