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崖っぷち放送作家、何とか生きてます②

いばらの道

放送作家を目指し事務所に所属した私ですが、見習いはリサーチの毎日。番組の企画に沿った人や店を探すことのオンパレードで、なかなか放送作家への道は開けません。朝から夜遅くまで働いても、ギャラは生活できるギリギリ。せっかく東京にいるので芝居や映画を見たりしたいのですが、そんなお金もありません。一体いつになったら、企画を考えたり台本を書けるようになるのだろう・・・そんな悶々とした日々を過ごしていました。

事務所には、不定期で局や制作会社から企画案や企画書募集がきます。この募集に応募して通ると会議に呼ばれます。まさにオーディションそのもの。会議に参加するとスタッフで企画書を完成させ、局のトップからOKが出ると放送まで辿り着けるのですが、この道のりが遠い遠い!まさにいばらの道です。募集の度に提出していると、次第に案や企画書が引っかかり始め、会議に呼ばれるようになりました。喜んだのも束の間。なかなか放送まで辿り着けませんでした。

わずかな光

そんな中、奇跡的に私の考えたバラエティ番組の企画書が通ったことがあります。会議に呼んでもらい、構成として参加できたのです。ようやく、東京に来て初めて作家らしいことができました。会議に参加しアイデアを出し合うのは本当に楽しく、これが放送作家か~とテンションが上がりました。しかも、今人気の芸人が出演することになり、さらにテンションは上がりました。
放送当日はテレビの前で正座して鑑賞。無事に放送が終わり、スタッフロールにも構成として名前が出たときは心底嬉しかったです。私はこの仕事をしてから、スタッフロールに名前が出ることが一つの目標でもありました。大阪では時々出ることがあったのですが、東京に来てからはこれが初めてでした。ほんのわずかですが、光が見え始めたのです。

トンネルから抜け出せない

作家らしい仕事ができたのはほんの一瞬。ビギナーズラックだったのか・・・またリサーチをする日々に逆戻りです。やってもやっても次々にやってくる締切。そんな中でも企画案や企画書募集が来たら提出はするのですが、これが全く通らない。何がダメなのかも分からない。暗いトンネルから抜け出したいのに抜け出せない!誰かここから出して下さい・・・葛藤する日々が続きました。私は悩みを人に話すのが苦手です。悩みを話して暗い雰囲気にさせてしまうのが嫌なのです。

そんな厄介な性格のせいでストレスが溜まって涙が止まらなくなり、ついに突発性難聴を患ってしまいました。片方の耳だけが詰まった状態で、プールから出たときのような感覚。パソコンのキーボードを打つ音が耳にガンガンと響き、仕事をするのが辛くなっていきました。これはあかん!と思い、私は依頼されている仕事を一旦全てストップしました。

あと少しだけ頑張ってみよう


そんな中、従妹の結婚式で地元へ帰ることになりました。心身ともに限界を感じていた私は、これを機に地元へ戻ろうと思い、図々しくも大阪の事務所に頼み込んでもう一度入れてもらおうと考えていました。さすがに40過ぎて実家暮らしはマズいので、一人暮らしの物件も探すつもりでした。ところが従妹の結婚式で、その考えが変わったのです。

結婚式ではテーブル席の配置図が渡され、各々の名前が書かれているのですが、名前の上には従妹が書いた簡単な自己紹介が書かれてありました。私の名前を見るとそこには「多彩な才能を持つ自慢の従姉」と書かれていました。私はそれを見て涙が出そうになりました。東京での夢を諦めて、地元に帰ろうと思っていた私の胸にその一言が痛いほど突き刺さったのです。

多彩な才能なんてないけれど、大阪で仕事していたときは少なくとも今より輝いていたし、従妹もそんな姿を見てそう感じてくれたのでしょう。それに比べて今の私はどうだ。たった3年ぐらいで上手くいかないからと言って、諦めて地元に戻るのか?納得するまでやったのか?もう一度「自慢の従姉」と言われるよう、何か一つでも爪痕を残そう。

私は地元に戻ることをやめて、再び神奈川に戻りました。そして仕事も再開させ、変わらぬ日々を送っています。そして、前のように仕事を詰め込みすぎることはやめ、自分のペースで進めることを心掛けています。

先日テレビを見ていたら、一代で大企業にまで成長させたある会社の社長が言っていました。「人生二度なし」。まさにその通りで、せっかく生まれてきたのだから、思う存分生きてやろうと思うのです。誰に遠慮することもない自分の人生。こんなところでくたばってる場合じゃない!あと少しだけ頑張ってみよう。



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