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友人哲朗と人生の話〜不登校だった僕(番外編)

パンツゴンザレス哲朗(パンツゴンザレスてつろう)

今でも僕は、変な名前だなと思っている。
彼がパンツと呼ばれるようになったのは諸説あるが、ここでは割愛します(笑)

さて、そんな友人哲朗の新曲MVが公開されました。
こちらです。

彼にとっては、2ndSingleになる曲。
誰もが一度は経験するスレチガイをモチーフにした曲だ。
曲はもちろんだが、MVの仕上がりがすごくいい。
いつもは友人の事を褒める事なんて滅多にないけど、今回ばかりは賛美のLINEを朝っぱらから送りつけてやった。

実は少しばかり僕も協力していて、ありがたい事にSpecial thanksに名前を載せてもらっている。

哲朗との出会いは、遡ること約10年前。2011年のこの時期だったと思う。
後に、小松の親父と呼ぶことになる(愛称こまっちゃん。普通の公務員のおじさんミュージシャン。)の主催LIVEに出ないかと、当時高知にできたばかりだったBee Stationというライブハウスのお姉さんから誘われたのがきっかけだ。
また別記事で触れたいと思うが、小松の親父は2018年8月24日まだ50代の若さで息を引き取った。
下記が、小松の親父のブログリンクです。
哲朗、今度一緒に墓参りに行こうな。

哲朗とは、ただの共演者の一人で彼はドラムやパーカッション、作詞作曲をやっている大学生だった。
当時哲朗がやっていたバンドのアコースティック体制での対バン。
この頃は、高知には自分と音楽センスのあう同世代なんていない。と意気がっていた自分には衝撃的で、フォークソングのコピーをしたり、カホン(ドラム代わりの打楽器のこと)を叩きながらコーラスでハモったり。
とにかく、衝撃的であった。

そこからは、ハロウィンのナンパ男並みの速さでのアタックが始まる。
何歳?どこ出身?名前は?どんな音楽聴くの?

ただのやばい奴だ(笑)

自分の紹介さえ忘れ、哲朗がどこから現れたのか、どうすれば仲良くなれるか、とにかく必死だったと思う。
その後、何度かの対バンを重ね、彼のLIVEを見に行ったり、見に来てくれたりする仲になる。

その後、哲朗は大学を卒業し地元岡山に帰り音楽活動を。
猪野は、東京に行き地元に戻り、転勤で高松にやってきた。

その間、連絡を取らない時期もあったり、哲朗を巻き込んだ恋愛をしてみたり、哲朗はバンドのドラマーからシンガーソングライターになったり。
お互いにいろいろなことがあったけれど、今回無事にMVリリース漕ぎ着けた。
本当におめでとう。そしてありがとう。

もう一度、MVのリンクを貼ります。
あと、哲郎じゃなくて哲朗です!(ここ大事!テストに出ます笑)

↓前回のシングルはこちら。
1.6万回も再生されとるやん。すげえな。

↓こちらは島根出身、東京在住のシンガーソングライター室田夏海ちゃんが歌っていて、哲朗が作詞作曲を務めた、ラジオ曲の開局記念テーマ曲。

↓バンド時代の名曲『ハル』
(1ハーフだけの、映画ゆず姫Ver.)

今日はこの辺で。
DJいのっちがお届けしました。
また書きます。

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