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水木しげるさんの幸福論 ~幸せの基準も形も大きさも、人それぞれ~

私が、幼少期から大好きだった漫画家のひとり、水木しげるさん。

水木しげるさんといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめ、『河童の三平』や『悪魔くん』などの漫画のほか『のんのんばあとオレ』のように、ドラマ化されたものまで、数々の作品で知らない人なんて居ないくらい、有名な方である。

私自身も、不気味な容姿をした妖怪に怯えながら、『ゲゲゲの鬼太郎』のページをめくったものだった。

そんな水木さんの作品のひとつ、『幸福論』という作品に、こんなひとコマがある。

場面は、死の床にある夫と、それを見守る妻の会話。

 夫:「私は少しも幸福ではなかった」
 妻:「あなたは幸福の"準備"だけなさったのヨヨ」
 夫:「幸福を"味わう"ことを忘れていたのか……」

作中の夫は、50年かけて必死に幸福の準備をしてきた。
しかし、病に伏して死の床に際し、振り返ってみると、何一つ幸福を享受することはできなかったことに気づいた。

今生きている人たちのほとんどは、”今”という確かなもののためではなく、”将来”という、いつかわからない、もしかしたら来るかどうかもわからない不確定なもののために、備えて生きている。

将来の不安さえ払拭できれば、今を犠牲にしてもかまわない、将来笑って暮らせるなら、今は笑えなくてもかまわない、そんな生き方をしている。

だけど、果たしてそれが幸せな生き方だと言えるのだろうか。

”将来”は”今”と対極なのではなく、”今”の延長した先が”将来”である。
だとすれば、今が笑顔でいられなければ、将来も笑顔にはなれないのではないだろうか。


同じく、作品のひとつ『錬金術』のひとコマに、こんなやりとりがある。

場面は、インチキ錬金術師と、騙された子どもの会話。

 子:「錬金術からは、いつまでたったもで金は出なかったじゃないか」
 師:「錬金術は金ではなく、そのことによって、金では得られない希望を
    得ることにある」
 子:「はっ」

作中の子供は、錬金術でお金をたくさん生み出せたら、あれをしよう、これが欲しいと、際限なく願望を思い描く。
しかし、けっきょくお金は1円もできず、錬金術師に不満をぶつけたところ、上記のような返しを聞いて、おもわずはっとする。

人は、何かを達成したいとき、成し遂げたいとき、大小の差はあれ何かしらの目標をたて、それを目指して努力する。
そして、目標達成の瞬間、喜びに満ち溢れている自分の姿を想像する。

本作で述べられているのは、目標を達成することも大事だが、そこに至るまでに努力する過程に、人は生きがいを感じることができるということである。

将来の幸せと、希望の成就。

そこに至るまでの過程を大切にするか、結果を大切にするかは、人それぞれだと思う。
一度、追われるように過ぎていく日々を立ち止まり、自分の生き方がどこに重きをおきたいのか、確かめてみてはどうだろうか。

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