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「あたしってなに着ても似合う」と、母は言った。

「あたしってなに着ても似合う」

僕の母がもっと若かったころ。
僕がまだ小~中学生くらいの頃の母の口癖。
僕は母が苦手だった。
今日はそんな自己肯定感の高い母の話をしたいと思います。

 

母はきれいな人だった。

今でこそ、寄る年波には勝てず随分フォルムも人間的にも丸くなったけれど、当時の母を思い出すと、

まるで世界中の鮮やかな花を集めた大振りの花束のような女性だった。

 

髪を長く伸ばし、定期的に明るいブラウンに染め上げて。時にはその髪にパーマをあてた。
シャネルのバッグが好きで、リップも必ずシャネルの決まった番号のものを、父が年数回の海外出張の際に免税店で購入していた。

あの田舎町で一番、シャネルの似合う女性だったと思う。

ネイルも好きで、服装は本人曰くシンプルらしいが割と派手好き。
全力で女性性を楽しんでいる人だったと記憶している。

 

自信満々の彼女は表情も明るく、飲み会などのオファーも少なくない。怒らせるとなかなか怖い。女手ひとつで子どもたちを育てた祖母に代わり、家庭内を取りまとめた長女でもある母は、母方の親族の中ではちょっとした女王様のようだった。
そしてそれを周りに認めさせてしまう不思議な人だった。

 

思春期を迎え、自分の性に違和感を覚えた僕は次第に、母のことが苦手になっていった。

自信家で“自分というもの”が確立していて、女性として美しい母はあまりにも、自信なく性別すらも揺らぐ当時の僕を浮き彫りにしたからだ。

 

「たぬちゃん」

色黒で背が小さく、小さい頃には家具や柱に登るのがマイブームだった僕を、時折母はそう呼んだ。
たぬちゃん、とは察しの通り狸のこと。

秋になると庭の柿の木には、よく狸が冬支度の為に現れる。田舎町では比較的身近な動物だった。
僕は当時から狸が好きで、秋になると同居の祖父とよく庭に狸が来るのを観察していた。
母はタヌキ顔の僕を「ぶちゃいく」だと、ペットのパグにでも言うようにそう呼んだ。

 

「たぬちゃんはまた男物着て。もっと女の子らしい服着たら?」

母が僕に着せたかった服の多くは、フリルのついたスカートや可愛らしいチュニック。
反して僕は幼少期からスカートが嫌いだった。だって男の子の遊びをするのに邪魔だから。

何でも似合う母とは裏腹に、僕にはスカートが似合わなかった。

 

「お母さんが高校生の頃は、怒られに校長室に呼び出されたのに、『うちの高校にこんな可愛い生徒がいたのか!』って言われる位、私は可愛かったんだから。」

女性としての自分の見た目に自信なんかこれっぽっちもない、女子高生に育った僕に言う。
相変わらず制服以外は男物の服を好んだ。
母は中学校入学時に「たぬちゃんはズボンにしようか?」なんてふざけて言っていたけれど、そうだったら良いのにと内心思っていた。
母の望む娘とはギャップのある形で、僕は僕として成長していった。

 

自信家の母はいつだって事後報告だ。

僕を連れて家出をすることが決まった時も、
父親の借金返済の為に居酒屋で働きはじめる時も、
父への戒めでタトゥーを入れた時も、
父さんと離婚した時も、

いつだって事後報告だった。

僕が事前に相談して欲しかったと訴えても毎度後の祭り。

なんでも自分一人で決めてしまう母が苦手だった。

 

考え方が極端で、正義か悪かしかなくて。
母が違うと思う道にばかり進む僕に、面白くなかった時期もあったと思う。主に部活の面で。
母が入ってほしい部活に僕はことごとく入らなかったから。
部活で上手くいかなくて家で泣いた日には、泣いている僕に「泣くなら辞めちまえ」と怒りをぶつけたのは、正直あれはなかったんじゃないかなって、今でも思います。

 

自分はと言うと友達とケンカ別ればっかりして、人に好かれる分敵もよく作る人で。

大人になればなるほど、事情を察して母が苦手になっていった。

 

あくまでも苦手。
嫌いなわけではない。この世にぼくに産み落とした人を嫌いには、きっと僕はなれない。

だからこそずっと苦手なのだ。

 

嫌いにはなれない。
だって忘れられないから。

 

生まれつき心臓が強くなく、高校卒業まで2回の入院、カテーテル治療をした僕を親戚から「ひとりで上京させるなんて」と言われた時に、ひとりで反論してくれたこと。
それを「人に恨まれて生きたくないの」ってごまかしたことを。

上京して空っぽになった僕の部屋を見て、あなたが涙を流したことを。

カムアウトした時に、「人と違う道を歩くんだ。腹括って生きろ。」と背中を押して、

「でももし子供を育てる機会に巡り合ったら、絶対に育てなさい。あんたとパートナーのためにも。絶対に。」
と、僕も考えなかった未来を示してくれたことを。

 

人のこと散々「ぶちゃいく」って呼んだくせに、母さんの高校時代の写真が、当時の僕に瓜ふたつだってことを。

 

素直じゃなくて、男勝りで、きれいだった母が苦手だった。

 

でも僕によく似た、大切なひとだ。

 

父への記事と同様に、この記事も絶対に母には見せないだろう。

 

自信のない僕は、ここ何年かでやっと自分の着たい服やなりたい姿が定まった。メンズ服も、今では体によく馴染む。
似合う服も見つけられるようになった。

 

僕はほんの少し、あの自信満々で居られる母の様子が羨ましい時がある。

だからたまには鏡の中の小さな狸にこう言ってやるのだ。

 

「僕ってなに着ても似合う」

 

 

 

 

  

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この記事はふみーさんの企画、 #みんなの2000字に参加しています

2000字で母のこと。多くも無く少なくもなく、遠くも近くもない僕と母の距離感のようだったので、このテーマにしました。

父への記事はこちら

 

 

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