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鈴木敏夫を“働く人”として見てみたら。

7月頭から都内で開催されている『鈴木敏夫とジブリ展』に行ってきました。いつもと同じく、パートナーのヨメちゃんと一緒。彼女もジブリは好きなので、今回は付き添いではなく一緒に楽しむ目的で足を運びました。



会場入り口では、千尋と坊ネズミとハエみたいな子(名前忘れちゃった。)のポスターがお出迎え。

エントランスの頭上もなかなかの迫力。
フォントが水曜どうでしょうみたいだと思ってしまった藩士は僕だけではないはず。全部どうでしょう軍団の声で再生されてしまうので、他のフォントの候補はなかったのかと。

展示の合間にはこんな感じでフォトスポットも。
結構な大きさでとてもかわいかったです。
手前の黒い子は『メイとこねこバス』に登場するおばけトトロ。以前三鷹のジブリ美術館に足を運んだ際にうちの子になったので、連れて行きました。

ぼやっとしててかわいいでしょ?

ジブリ展、とはあるものの、展示のメインはこういったフォトスポットではなくあくまで鈴木敏夫さんの“これまで”。

千尋のポスターや天井に掲げられた名シーンと名セリフのコラボレーションアートに出迎えられたあと、まず来場者が目にするのは彼が幼少期に影響を受けた作品群。漫画や文芸、映画やおもちゃ。そしてそれらがぎゅっと詰まった幼少期の部屋を再現した展示もあって。きっと彼と同年代には懐かしく、僕(33歳です)にとっては触れて来なかった名作たちがジブリの土台の一部になっているように感じて新鮮だった。
「もし僕が鈴木敏夫だったらここにはどんな作品が並ぶんだろう」なんて彼女と話し、想像をめぐらせながら、軌跡のはじまりを辿った。

展示が幼少・少年期から青年期へと移り変わると映画雑誌などの趣味のものに混じって、鈴木氏が一時参加した学生運動や卒論のさわりを見ることが出来る。
学生運動の主要メンバーにスカウトされて、連れていかれた先におじさんがいたことを「裏で大人が糸を引いていたのか」とがっかりして気持ちが覚めてしまい、運動から遠のいたというのもなんだかリアルだ。そんな盛り上がりの裏側を冷静に見る目がその後ジブリのヒット作を企画する際にも活きたのかなぁなんて思いました。

僕はいくつかこの展示でグッときた言葉をメモさせていただいていて(もちろんテキストで。展示を撮影されていた方もいましたが本来撮影は指定の場所以外はダメですよ。)
3つの文言をメモして、その内の2つが青年期の展示にあった鈴木氏の卒論のさわりの文章だった。
たしか歴史に対する解釈についての論文で(うろ覚えですいません)、
「自己を客観視することに熟練してしまった人のことを、世間は感受性の強い人と評価する」
「歴史家は歴史を創造することは出来ても、自身の歴史を創造することはできない」
このふたつがなんだか心に残ったんです。

「自己を客観視すること~」が心に残ったのは、おそらく僕が自分自身のことを良くも悪くも感受性が強い人間だと思っているからだと思う。自分では感受性が強いと思っていても、「感受性が強いとはなにか」をこれまで紐解いて言語化してこなかったししようとも考えていなかったとこの一節を読んで気付かされた。
きっとなにかにおいてすごい人って、他の人より色んなことに気付くのが早いとか、何らかの事情で早く気付いてしまった人なんじゃないかってのが最近の考えなので、鈴木さんもそうなのかもなぁとしみじみ考えてしまいました。少なくとも、卒論を書く大学生の終わりの年頃に僕はこのことに気付けず33歳の今こうして彼の文章で気付かされている。

「歴史家は歴史を~」は、上記にプラスして自己の客観視について考えさせられるなと思って、格言的な意味でメモをとりました。
僕は僕の人生という歴史を描いているつもりだけど、実際は他者から見たものでしか歴史を描けないだなんてちょっと悲しい。だけどそれが僕だけでなく誰しも、だと考えれば僕は誰かの作ったものやその人となりを褒めたり認めていくことでその人の歴史に加筆しているということになるしそれって素晴らしいなと思えた。もちろん悪い言葉を加筆することも出来るけれど、出来れば僕はいい言葉をその人の人生に加えていきたい。
ん~…難しいけど、なんかこう、心に残った。これももっと言語化したいところです。

メモをとった言葉の最後は、鈴木敏夫が編集者~編集長~プロデューサーとして働いている大人になってからの展示にあったもの。
「プロデューサーの仕事は雑用なんだ」
という一言でした。

僕は少し前にニッチな業界のある企業を退職しました。その会社では、カタログ編集者というこれまたニッチな仕事で9年弱ご飯を食べていて。その大半を編集者というよりディレクターとして働いてきました。
明確な肩書がディレクターだったわけではなく(そういう肩書のつく会社ではなかったから)、あくまで役割としてディレクションをするからディレクターという考え方なんですけどね。時にはその役割がプロデューサーに準ずる時もあったんですが、なにをしていたかと言えば仕事の9割は社内外の調整業務。よく言えば潤滑油。その逆で言えばほとんどが雑務。
「ディレクター」なんて華やかな肩書からは程遠い仕事の内容に、なかなか自分がディレクターである自覚も芽生えにくく、転職活動でこの職場での仕事内容を「ディレクション」と書くことにも少し違和感を感じていました。
そこにこの「プロデューサーの仕事は雑用なんだ」という言葉を目にして、ああ、自分がやっていたことも間違いなく雑用だった。しかし、だからこそ僕はディレクターだったんだ。と妙に腹落ちさせてくれたのです。

そしてなんだか“働く人”として鈴木敏夫さんが少し(ほんとに少しだけ)身近な存在に感じられました。たまたまかもしれないけど、プロの仕事を素人にわかるように紐解けているってすごいことだと思うんです。
もしかしたら僕はまた前職みたいな調整業務が9割、みたいな仕事に就くかもしれないけど、それもプロの仕事のひとつなんだよな。うん。

メモは控えていませんでしたが、宮崎駿が監督を務める際に高畑さんにプロデューサーを依頼した際のエピソードも印象的でした。
宮崎さんの要望を叶えようと、何度も高畑さんのところへ足を運ぶ。しかし首を縦に振ってくれない。その内、1冊の大学ノートを眼前に突きつけられてしまう。ノートには高畑さんが考えるプロデューサー論がびっしりと書かれていて、その最後は「だから僕は、プロデューサーには向いていない。」で締めくくられていた。
それを宮崎さんに伝え、最後には友人としてプロデューサーを引き受けた。最後をだいぶはしょったけど、こんなエピソードだった。自分が考える役割のあるべき姿を真摯に考え抜いた結果、自分は向いていないという答えを出す高畑さんの真っすぐさが……もうね!!!カッコいい。

くぅ~~!!!!!
っと唸ってしまう程展示で酔いしれたあとはやっぱりお買い物。
展示会に足を運んだら記念グッズがやっぱりほしいものです。


提灯の下がる幻想的な廊下を抜けたら、これまたなんともグッときちゃう光景が広がっていました。

湯屋さながらの賑わい。
壁も凝っていて、なかにはこんなものも……

これ、カオナシが暴飲暴食している宴会場のふすまですよね???

こっちには湯屋にあるエレベーターも!!!!

オシラ様が好きなのでちょっとわくわく。
無料で引けるおみくじもあって、その番号の紙を出すところもお風呂屋さん風。

そしてみんなの憧れ、千尋の両親が豚になっちゃう屋台のセットもありました!

因みに僕も買ったおススメの記念グッズは、このグラスです。


湯屋のマークや薬湯の札、ススワタリがあしらわれていてもう可愛すぎる。
ヨメちゃんとお揃いで使ってます笑


東京では9月7日まで開催されているので、よかったら足を運んでみてください。



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