すべての愛し合うふたりに、「ハッピーエンド」を
子どもの頃にみたおとぎ話のラストシーンは、お姫様と王子様が結ばれるハッピーエンドだった。
この頃、僕と彼女には物語でいうハッピーエンドが本当の意味では訪れないのだろうな、と、ふと思ってしまった。
21歳で「自分の心の性別を男女のどちらにも決めない」と決めた僕に、もうすぐ34回目の誕生日がやってくる。
13年の間に、世の中はゆっくりと、しかしたしかに僕を含めたセクシャルマイノリティにとっていい方向に向かっている。本当に、本当にゆっくり過ぎるくらいのスピードで。
日本で初めてのパートナーシップ制度が施行されるとニュースで見て、「このまま同性婚が成立してくれるかもしれない」と淡い夢を抱いた日から、もう何年経っただろう。まるでパートナーシップ制度が僕たちセクシャルマイノリティが得られる権利の頭打ちだと言うかのように、いつになっても同性婚は成立しないし、政治家の中には相変わらず僕たちの存在を嫌い、差別する発言をしてニュースになる人がいる。
少しでも理解してくれる人が増えたらと考え僕は何度、「僕の身体は女性ですが、心の性は定めていません。女性のパートナーと暮らしています」と書いて、話しただろう。何度言葉を尽くして来ただろう。好きになる性別や心と身体の性に違和があっても、当事者と異性愛者は同じ人間なのに。僕は異性愛者にとって、人並みには善良な隣人であったと思う。受け取ってもらいやすい言葉を選んで、極力感情的にならないように心がけてきた。それなのに、
今年に入ったくらいの頃から、なんだか世の中で飛び交う差別に反発することに少し疲れてしまった。
基本的には元気だし、楽しいことは相変わらず楽しいのだけれど、反発する元気は正直あんまりありません。
昨年晩秋、東京都が都として念願のパートナーシップ宣誓制度をスタートしてくれたから、東京都に住む当事者のひとりとして緊張の糸が途切れてしまったのだとポジティブに捉えることも出来るけど、きっとそうではないんだろうというのが体感で。
本音のところでは、本来は国民に寄り添ってくれるべき国の中枢であるところから、これまで何度も何度も何度も心ない言葉を投げつけられてきて、「差別慣れ」してしまっている気がしている。
虐待やDV、パワハラを受け続けると相手からの酷い言動ひとつひとつに麻痺していくのと構図は似ていると思う。
当事者として文章を書いてきたことを後悔しているわけではない。ただ、足が少し止まってしまった。
冷静で感情的にならないことや、受け取りやすい言葉を選ぶことは僕から受け手への「厚意」であり、受け取ってもらうための「工夫」のはずだった。しかしそれらはいつのまにか受け手にとって「そうあるべき」に変わってしまったように近頃感じている。感情的になってるLGBTQ当事者って怖い、そういう言い方されるとやーね。そんな感じ。そう感じる言い方を僕にもよくしてくれている善良な人から聞くこともあった。
言いたいことはわかるけれど、僕はそれがとても悲しい。同性婚が成立しない限り、僕は異性愛者のいる「愛する人と結婚できる」世界では暮らせない。それについて感情を荒げたくなる時がある。酷い言葉を浴びせて、皮肉ってやりたい日だって。どんな当事者でも、怒りもするし悲しみもする。だって人間だから。あなたを責めてるのではなくて、あなたを加害者だと罵っているのではなくて、ただわかってほしいだけなんです。「そうも言いたくなる日もあるんだな」と、どうか思ってほしい。
いわゆる「LGBT法」についてもそう。当事者を置き去りにして日夜燃えさかるSNSを見て、苦しくて仕方なかった。
僕がカムアウトした際に、相手から「日本って同性同士で入籍出来るようになったの?制度はちゃんと受けられているの?」と複数人から聞かれたことがある。最近も聞かれた。
「そんなことも知らないのか」なんて言いたいのではなく、もちろん無知だと言いたいわけでもない。ただ、聞いてくれた複数人はどの人も普段の仕事や交友の中で、とてもいい人で親切な人たちだったから。きっとそういう、心優しいけれどまだ僕たち当事者の現状が届いていない人は日本中に大勢いるんです。受け取れる状況や環境にある人ばかりじゃないから、当たり前のことで。わからなくても、なにもおかしくない。だから僕は、同性婚の導入やLGBT法の制定をきっかけにしてそういう人たちに届いてほしいと思っています。未だニュースの影響力は強い。考えるきっかけにも、気付いたり知るきっかけにもなる。
当事者の想いはそっちのけなんてひど過ぎやしませんか、と思ってニュースを眺めていました。
僕とパートナーである彼女には今のところやってこない、「王子様とお姫様は結ばれ、幸せに暮らしました」というハッピーエンドは、身体の性が同じであるカップルみんなにも、同じようにやってこない。
(王子様もお姫様も性別問わずなれるものだと考えているので、そこはあしからず。)
同世代や上の世代でも、これから恋をしていく子どもたちも、今のところ日本で同性のパートナーを選んだら、そのハッピーエンドは来ません。残念ながら。
今時結婚だけが幸せだなんて僕も思っていないし、同性婚が出来なくても今僕は彼女と暮らせて幸せです。
だけど、例えば死がふたりが分かつ直前に、急な病気や怪我やその他色々な不幸があった時、僕たちは法律が原因で一緒にいられないかもしれない。
だからもし、僕たちカップルやほかの当事者カップルがとても幸せそうにしていても、「同性婚が出来なくても大丈夫では?」なんて思わないでください。そしてそれを絶対に当人たちに口にしないでください。僕たちは幸せに暮らしていても、同性婚という選択肢を諦めたくないんです。幸せそうだから選択肢を与えられないなんて、間違ってる。
話は変わりますが、「魔法にかけられて」というディズニー作品の映画をご存知でしょうか。
作中に僕と彼女が好きな、「So Close」という曲があって。僕はその曲のはじまりと終わりの歌詞に、僕たちふたりを重ねずにはいられません。
こんなにも愛しているのに、僕たちのハッピーエンドは異性愛者だったらとっくに迎えているはずなのに。
僕たちが大切に大切に育んで守ってきた愛情は、異性愛者が抱く愛と同じなのに。
異性愛者であれば、たとえ人を殺すとか罪を犯しても愛する人と結婚し結ばれることが出来るのに。罪を犯さず、真面目に働き、どんなにより善く生きても僕たちは結ばれることがない。
あと少し、あと少しで叶うかもしれない。
そう思いながら婚姻では「結ばれないまま」、この世を去る人がいます。お互いが愛し合っていると、どんなにわかりあっていても叶わないまま。
もし、あなたのまわりに当事者カップルがいるならば、それはそのカップルかもしれません。
次の世代まで同性婚が実現しなければ、それはあなたの子どもとそのパートナーかもしれません。
「So Close」の邦題は、「そばにいて」。
ずっとパートナーとしてそばにいるための1番の方法を、異性愛者がみんな選べるハッピーエンドの選択肢を、どうか僕たちにもください。
₍ᐢꙬᐢ₎サポートいただけたらめちゃくちゃモチベーションが上がります! 良ければ一緒になにか面白いこととか出来たらうれしいです。