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中田裕二「PORTAS」を、勝手に先行全曲感想。

11月11日、中田裕二さんの10作目となるニューアルバム『PORTAS』(※読み:ポルタス)が配信開始になりました。
来週11月18日にCD発売予定でその先駆けとしての全曲先行配信です。
すでにこのアルバムから2曲、「君が為に」「BACK TO MYSELF」が配信済み。
「君が為に」は僕もnoteを書かせてもらいました

今日はこのアルバムの先行全曲配信を祝して、全曲先行感想を書いていきたいと思います。
よかったら聴いていってください。
先行2曲以外は初見で書いていきます。

 

楽曲は全て下記のURL、YouTubeから聴くことが出来ますので良ければ聴きながら楽しんでもらえると嬉しいです。


  

まず「PORTAS」ってなんだろうなと思い調べてみると、portaの複数形と出ました。

porta 意味と語源
【ラテン語】門。入口。玄関。
語源解説
per-(通る)が語源。porto(運ぶ)と同じ語源をもつ。

(中田さんの意図は全く別かもしれないですが)
ドア。運ぶ。通る。
この辺りが全体のモチーフなのかなと勝手に考えつつ聴いていきたいと思います。

1. プネウマ

プネウマ(古代ギリシア語: πνεῦμα, pneuma)とは、気息、風、空気、大いなるものの息、ギリシア哲学では存在の原理[1]、呼吸、生命、命の呼吸、力、エネルギー、聖なる呼吸、聖なる権力、精神、超自然的な存在、善の天使、悪魔、悪霊、聖霊などを意味する[2]。動詞「吹く」(希: πνέω)を語源とする。ラテン語でスピリトゥス、そこから英語でのスピリットとなった。
(Wikipediaより引用)

静かなアコースティックギターの音で始まるアルバム1曲目のタイトルの意味はこんな感じ。
ちょっと精神世界的な意味合いは歌詞の端々にも枝葉を伸ばしている。

歌詞の主人公は偶像崇拝の対象になっているのだろうか。
淡々と語られるその胸の内は甘んじて受けているようで、ひどく客観的にも聞こえる。

誰かにそっと 打ち明けたくて
あくまでそっと 忍ばせたくて

冒頭の2行から感じ取れる部分を膨らませれば、もしかしたら、まだ崇拝者はいないのかもしれない。
あくまで自分の中にたしかに存在する、自己顕示欲や虚栄心。「周囲の価値よりも私は価値があるのだ」と言うような。隠し持っているそんな気持ちを吐露しているのかもしれない。

SNSで垣間見られる評価に固執する様子(バズりたい)にイメージが重なった。だとしたら、こんなに皮肉めいて聴こえない表現は他にあまりないのではないか。そういう感情を描こうとすると、どこか卑下しがちになると思う。
吐露する側からすると日常的な感情なのだろう。だからこそ淡々と語るように描かれている。

この曲が「PORTAS」のドア。
いったい中はどんな世界になっていくのだろう。

  

  

2. BACK TO MYSELF

「プネウマ」とのピースが埋まっていく感覚に襲われた。
既に配信されていて耳にしていた曲だったこともあって、この2曲の繋がりは視点を変えたストーリーになっていると感じた。

プネウマがSNSにのめり込む人を描き、この曲はそんな人を諭すように俯瞰した視点で語りかける側を描いている。
コロナ禍で良くも悪くも(悪い面が幾分多いかもしれない)SNSに触れる時間が増えた人が多いだろう。
「PORTAS」は、そんな中で描かれた世相を反映した1枚なのかもしれない。

ありもしないことを さもありげに話す 
らしいよ これ知らないの
我に帰りなさい 孤独とは自由だよ
構わず君とただ語れ

「Sanctuary」収録の「フラストレーション」でもSNSをはじめとした現代を取り巻く環境への憂いのようなものを感じたけれど、今回のアルバムではその色がやや顕著に感じる。それが中田さんの感じていることをより鮮明で具体的に表しているのだとしたら、今まで曲の多くから感じられた気怠さから一歩、違う領域に足を踏み入れたのかもしれない。

 

 

3. ゼロ

イントロの軽やかさが心地いい。イントロの長さはおよそ40秒。近頃の流行りはイントロの無い方が、ストリーミングで再生されるときに飛ばされないから良いのだというのを聞いたことがあるけれど、その論で言えば長めの居イントロだろう。でもそれがいい。「どんな曲なんだろう」と思いを馳せる余白が、イントロだと思う。

続くAメロはまるで歩きながら情景をゆっくりと眺めるような静かさと景色のリズムが感じられる。

空から吹きつける 凍えた風が
白波を立てて 孤独に砕けた

サビの寂し気な心象も儚くて美しい。秋が深まる冷たい空気の海辺のイメージがよく似合います。1番から2番への間奏のメロディはどこか懐かしい。哀愁が込み上げる。

こういう情景が映像として浮かぶのが、中田さんの楽曲の好きなところです。

楽曲全体が寂し気な喪失感を孕んでいて、失ったことで「ゼロ」になるストーリーになっている。しかし“何を”失ったかは語られていない。聞き手は何を重ねるだろうか。最愛の人、地位や立場、信頼する友人、はたまた思い描く理想像……人生において失うことは誰もが通る通過点、と考えると通る、という意味での「PORTAS」なのか。それともこの悲しみは何かのドア、入り口なのか。

 

 

4. おさな心

これまでの3曲とガラッと変わって、あたたかな印象で始まるアコースティックギターのイントロ。印象変わりすぎでは……?(しかし好き)

牧歌的というかカントリー…まではいかないのかな。穏やかな陽だまりのあたたかさを感じる。

ひまわり風に揺れ 日傘をさした人

とあるから夏の楽曲かな。陽だまりというよりは日差しですね。温度が感じられる楽曲です。

本当に、さっきまでの3曲の寂しさや喪失感などのどこかひんやりとした質感からは一変していて、仄暗さを孕んだ心持ちからは解き放たれた印象があります。

ゆるやかに営まれる日常を眺めて愛でるような歌詞が続いていく中で、最後の歌詞にふと疑問を残してこの曲は終わる。

鳥かごに飼われた 幼い日の心を
逃がしたら おもいかたが消えた

最後のこの歌詞の意味するところは何なんだろう。(この記事を書いている間に公式のライナーノーツが投稿されてしまい、見るに見れなくて大変歯がゆい。この歌詞の言及されているところはあるんだろうか。それにしてもカッコ内が長すぎる。)この歌詞以前の情景が「幼い日の心(=思い出や心象風景)」なのだとしたら、僕があたたかいと感じたそれらは主人公からすれば手放したい、心を逃がしてやりたいものだったのだろうか。

幸せそうに見える人が必ずしも幸せとは限らない、ということは往々にしてある。こと、これまでの曲を考えると現代において(特にSNSとか)に置き換えて考えられるのかもしれない。SNSでいい部分を人に見せて、悪い部分は隠すということがよくありますよね。キラキラアカウントの上手くいってない実生活とか、愛妻家アカウントだって奥様とケンカすることがあったり。そういうことを言いたいのだろうか。

“おもいかた”の字面が気になる。

重い形(かた)…枠にとらわれて、それが重荷になっていた?

想い過多…誰かからの過保護?(鳥かごに飼われていた=過保護?)

そもそも“おもいかた”じゃないのか。歌詞カードがないので、ここは発売後にチェックしたい。

しかしいずれにせよ、おそらくこの曲のPORTASは、鳥かごの扉。

 

 

5. あげくの果て

ド頭から感じる不条理というか、抱える不安が歌い続けられるにつれてほろり、ほろりとこぼれ落ちていく。曲の中盤から終盤にかけて、その様子は切なく加速していく。ピアノからはじまる最初の一音はもうすでに涙が落ちる音のようだった。

あげくの果に 何もありはしないのさ
時間だけ燃やして 灰になり消えた
本当のことを知ったとしてそれが
誰を救っただろう 謎は解けたのに
僕はわからない

最初のサビがとどのつまりなんだろうな。2番でもサビのフレーズは変わらない。繰り返し、繰り返し問いかける。

答え 間違い
正解 不正解
真 偽り
正論 邪道
生と死
神のみぞ知ること

相反するものは何がどれで、どれが何なのか。例えば何か事件や悪とされることが行われた際にそれを本当に裁くことは、人間には出来ないのかもしれない。このフレーズの後に、また同じサビがやってくる。

言葉が人を殺してしまったり、自ら命を経つことを選んだり。よくないニュースが続いたことかあった時期が過り、そういうことに対しての嘆きのように感じられた。

本当のことを外野が知ったところで、一体なんになるんだろう。法で裁けること以外や部分以外は、真実なんて本人しかわからないし、本人にすら、わからないのかもしれない。

“事実”と“真実は”似ているようで、実は違うのかもしれない。

真実への扉をいくら叩いても、真実が現れるとは限らない。その扉を開けて中を見ることができる人は、きっととても限られている。

 

 

6. 夢の街

今度はまた、漂うようなやわらかな曲のはじまり。

穏やかな空気はまさに夢のようだけれど、掴みどころがない。

この夢の街では 誰も企まない


最初のサビの終わりの締めくくり。悪意のない世界では誰も企まない。

この曲はもしかしたら、他の曲とのつながりのある曲なのかもしれないと思った。

海の紺碧と 空の水色

「おさな心」は列車が走る海岸、「ゼロ」では白波、遠くに見える船からも海が連想される。このアルバムに登場する海は、全て同じ街から見える海なのかもしれない。

人はまだ 自由ではない
誰かの言うことを気にして

サビのこの部分の自由は、「BACK TO MYSELF」に置き換えると自由=孤独。「人はまだ孤独ではない」と考えると、夢の街は企みや悪意こそないけれど孤独なのかもしれない。果たしてそれは幸せなのだろうか。

人はまだ 何も知らない
強がりで わかった顔して

“なにを”知らないのだろう。もしかしたら、この曲の主人公は今を取り巻く悪意や煩わしさを全て取り払った夢のような世界は、それはそれで幸せなのだろうかと問いかけたいのかもしれない。

多くの「もしかしたら」が心に湧く1曲だった。

 

 

7. Predawn

夜明け前、と題されたこの曲はまさに朝焼けの薄明かりに目を覚した主人公の、微睡みが抜けない様子で始まる。

君は静かな寝息で
まだ夢の中で遊んでる
あたりはまだ少し散らかったままで
僕はひとり微睡んだ

隣で寝ている恋人の描写にも愛が宿る。人はこういう何気ない瞬間に愛や平和を感じるのだと思う。僕は聴きながら、昨夜出したばかりの毛布に埋まって寝息を立てる、今朝方のパートナーである彼女の寝顔をふと思い出す。布団から出たくなくて、彼女を起こさないように今日更新の漫画アプリを読んだりして頭と身体を起こそうとする。そんな誰にでもあるような瞬間が、少なくとも僕にとってはとても幸せなひとときで。きっとこの楽曲の主人公もそうなのだろうと、共感した。

世界が静けさで包まれる今だけ
思いつく言葉があるんだ
君が寝てる間に書き残そう

おそらくスマホに書き残したであろうその言葉もきっと愛のある言葉で。近頃の相互監視されている(している)ようなSNSも、そういう言葉ばかりだったらきっとユーザーは幸せになるだろう。

邪魔者なんていない
ここは ささやかな理想郷さ

ある意味ドアを閉したような、クローズドな世界の一幕。静かな幸せが佇むここが理想郷。開け放つばかりが扉ではない。閉ざすことで生まれる平穏もある。

 

 

8. DAY BY DAY

少し嫌なことがあった後に、窓を開けたり好きな香りをたいたりしながら愛しい人と過ごして心をほぐしていく。そんな日々の情景を歌った楽曲。

飽きもせず見てた 気の顔を
なにその癒し系 胸に包んだ

惚気っぽいこういう表現、とても好きです。思わず抱きしめてしまう仕草や言動、表情。いいぞもっとやれ。すごく可愛い表現ですよね。この曲の主人公は恋人のことが大好きなんだなぁ。

もしかして「Predawn」の主人公と同じでしょうか。あの主人公が恋人へ向ける視線の優しさと、この主人公が恋人に向ける愛情はよく似ている気がします。

また好きなものを食べに行こう
たまには新しい店でもいいよ

こういう何気ない会話って、すごく幸せで大切にしたい。いつもの店も新しい店も、きっとこの主人公は恋人とならどこだって楽しいんだろうなぁ。

君と繰り返す 戯れ愛の中
ふと泣けてくるよ そして笑えてくるよ

DAY BY DAY、日毎繰り返す愛情の日々が尊い。

曲調というか、楽曲全体の雰囲気からも込めた愛が溢れるようなあたたかを感じます。愛の歌。

序盤の歌詞で登場する「風の通り道」が嫌な空気を入れ替えるための「PORTAS」。

 

9. ふさわしい言葉

利口じゃない 利口じゃない
今しばし待っていて
もっと他にあるはず 相応しい言葉

という歌詞から、「君」に伝える言葉を模索するように楽曲は始まる。相手を想うから言葉を選ぶ。当たり前のことだけれどこれがなかなか難しい。「伝える」って難しい。noteで何百記事書いても「伝える」ことの難しさは書けば書くほどひしひしと身にしみる。言葉のもつ力や扱いの難しさを知ると、大切な人にこそそれは正しく使いたくなって歯がゆくなる。

この楽曲の主人公も模索しながら、歯がゆさを感じている。

喜びに抱かれていたいけど
悲しみが時折顔を出すよ
そんなものさ わかってるんだ
それ故に君が必要なのさ

サビはこのフレーズを繰り返している。生きていくってきっとこういうことなのだ。幸せはひとりでは来てくれない。必ずそばに悲しみがついて回る。到着するのが、幸せより先か後か、すぐなのか遅いのか。その違いはあれどふたりでやってくる。だからこそ、この主人公には「君」が必要なんだ。

1番では「Predawn」以降のこの3曲は同じ主人公のように感じたけれど、2番を聴くと「君」は概念的なものなのかもと思った。

諦めや二の足や油断を許さない「君」は成功への糸口をくれる希望のようなものなのかもしれない。

人のことばかり 君こそどうなのさ
少しは心を あずけたら良いのに

しかしこの部分を考えると、やっぱり恋人や「大切な人」なのかな。ある意味、パートナーというか。仕事におけるパートナー。

それともここは、「君」のことばかり言う主人公に対して「君」が言ったことなのか。

伝えるときに相手のことばかり理由にしたりせず、心を渡さないとそもそもで伝わらない。そういうことなのか。

 

 

10. 君が為に (album version)

この曲は配信開始時に既に感想を書いていますので、当時の感想はこちらへ。

配信開始時も、今の時勢に疲れてしまった人に寄り添う曲だと思ったけれど「PORTAS」の他の楽曲たちを聴いて最後にこの曲を聴くと、よりその色を濃く感じた。

どうか君の為に 明日を恐れずにいてよ
誰も責めない 君のことを
僕が受け止めるから

虚栄も苦しみも日常の些細な幸せも全て抱きとめてくれる。文章で言う、句点のような楽曲。どんな物語も、最後は句点。否定せず、拒まず、あるがままの姿を保ったまま受け止めて区切りをつけてくれる。そう考えると、最後にとても相応しい楽曲だったと思う。

 

 

通して聴いてみて感じたこと

「PORTAS」を通して聞いてみて、制作された期間が期間なのもあり(僕が受け止めた時期も含めて)、時勢というバックグラウンドを感じずにはいられなかった。

それはけして悪い意味ではなくて。その上でひとりの聴手として、今回のアルバムは「伝える」がテーマでもあるように感じた。言葉は人を生かしもするし命を奪いもする。

声、意見を伝えるときにその手段である声、言葉、画面、目線、態度なんかは扉なんじゃないか。そこから出てくる想いをどう伝えるか、どう扉を開けるかで伝わり方は全く変わってしまう。そんなことをアルバム「PORTAS」を通じて感じた。

これまで何度も中田さんの楽曲について、気怠げ、儚いとその魅力的な特徴を表現してきたけれど、今回はそれらよりも一貫した意志の強さのようなものを感じた。アンニュイでニュアンス的な曖昧さは楽曲によっては残っているけど、今まで以上にその奥にある芯の強さが際立っている。それは先程も書いたような時勢によるものなのかもしれない。(本人のみぞ知るものだから)今までの魅力的な側面とはまた違う、静かな強さが美しいアルバムだった。今までとはまた違う魅力を見せてもらったようで、これからの音楽活動も中田さんを推すファンとして純粋に楽しみです。今回の楽曲たちは、ライブだとどんな見え方をするんだろう。生で見ることはまだ先になってしまうけれど、配信含め今後見られるのが楽しみ。

長々と書いてしまい申し訳ありません。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。CDが発売されて実物を手にするのを心待ちにしながら、今回の先行全曲感想を締めさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。

 

あ、CDご購入はこちら。ぜひご購入を!

 
 

では。

 

 

過去の全曲感想は下記にて。

 

 

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