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悲壮感がなくてもいいですか。

僕は身体で言うとレズ寄りのバイ、心は性別を定めていない。本当はもっと細かく書くことも出来るんだけど、冒頭に簡潔に書くには少しばかりややこしい心と身体で生まれ育ちました。

 

2018年にnoteでLGBTQ当事者として考えていることや、日々のこと。一緒に暮らすパートナーとのことを書きはじめた。

それから書いてきたそれらは、読む人によっては「あれ?LGBTQってもっと大変なんじゃないの?」と思う内容が多いと思います。

両親、近しい友人、直属の上司や一部の同僚、会社の人事にカムアウト済み。ボーイッシュで好みな髪型にしてくれる信頼できる美容師もいる。なにより愛してくれるパートナーがいて、生活をともにしている。

 

身体のことや困っていることはあれど、特に差別的に扱われている様子もなく平凡に暮らしている当事者のひとり。
良くも悪くもドラマチックなことが起きない、平凡な暮らし。

僕の記事を、当事者の悲しい現状や過去の独白を期待して読む人がいるかはわからないけれど、そういう期待にはあまり応えられていないと思う。

だからといって、僕は「LGBTQ当事者って実は意外と大変じゃないよ」なんて言いたいわけではありません。
周りに理解されない人も、ひどい仕打ちをされた人も、今されている人も世の中にはたくさんいます。

たまたま僕は、運よくそういう目にあまりあわずに生きて来れただけ。これはあくまで僕のケースとしての話だ。

学生時代はありましたよ。
彼女との交際が変に広まってしまって、声が大きくいかにもやり返してきそうな僕ではなく、彼女の方がいじめられたりとか。
やられたことは一生忘れてなんてやらない。

忘れてやらないけれど、気にしないくらいの平穏で幸せな暮らしをしている。今はね。

 

僕がまだ10代の頃。LGBTQ(なんて言葉は当時なかったけれど)当事者に良い未来なんてないと思ってた。幸せにはなれないんだろうなと思ってた。
当時はまだmixiくらいしかSNSはなくて、当事者の人とも今ほど繋がれなかったし、調べて見ることが出来るのは辛い経験をしてきたり、今辛い経験をしている当事者の方々の声だけだった。

そういう声はとても大切。
そういう思いをしてきたりしている人は昔ほどではなくても今もいる、同じような経験をしている人たちの支えになる。書いている人も、書くことでほんの少しでも癒やされるかもしれない。書くことは癒やしになるから。その人がその人らしくこれからを歩いていく時にきっと書くことは力になるから。
大変な経験を発信することは、世の中の仕組みに対して声を上げることにもつながるしとても大切なこと。
僕だってパートナーと法的に結婚したいと思っている。法的な部分で、もっともっと整ってほしいと思っている。その考えや思いは変わらないから、そういう声は上げていってほしいし、上げていきたい。

 

では現状そういう文章ではない、平凡な日常を僕が書き続けているのはなぜなのか。
それは「平凡に暮らして幸せにしている大人の当事者もいるよ」と、僕の記事にたどり着いた当事者の子どもたちや若い世代に伝えたいから。
もしくは、理解ある当事者ではない人たちに「こういう当事者もいるんだな」と、「もしかしら平凡に暮らしている当事者は周りにもいるのかも」と思いを巡らせてほしいから。
実際あなたの隣で暮らす人は、そうやって平凡な幸せを生きているかもしれない。

 

本当に、僕が今こうして平凡にパートナーと暮らせているのは、たまたま運が良いだけなんだと思う。
そうなるようにふたりで努力はしてきたけれど、平凡に暮らすために努力が必要なのは、異性愛者の中にも努力してきた人たちがいるのと似ている思う。自分たちがその範疇を超える努力をしてきたかというと、わからない。
努力の尺度は人による、という部分が余りにも多すぎるから。

 

現状の僕の書くものは、悲壮感の有無で言えば「ない」方にカウントされるだろう。

僕には「悲壮感がない当事者」で居ることに後ろめたさがあった時期があった。

「他の人はもっと大変な状況にあるのに」
「辛い思いをしてきた人だっていっぱいいるのに」と。

自分がそうでないことに、マウントとかでなく、申し訳無さがあって。もっと苦労や、大変な思いをしてないといけないような。

でも今幸せに在れるのに、自分からその考えに自分自身を引きずり込むのは、自分に呪いをかけているようなものだと思った。
わざわざ悲しみの冷たい水に自分から浸ることはしなくていい。そんなこと自分からしてはいけない。

だから僕は僕の立ち位置から、僕のモデルケースとして書いていきたいと思いました。

 

上の記事では、「発信しないこと」「セクシャルをオープンにしないこと」を選んでいいのだと書きました。

だからこの記事では「悲壮感がなくても、僕もあなたも当事者だ」と言いたい。

むしろ悲壮感なく居られる世の中に、どんどんなっていってほしいんだから。
何でもかんでも辛い立場の人ばっかり取り上げるなよ、マスメディアよ。いろんな人がいるんだよ。いろんなパターンを伝えていこう。僕も頑張って書いていくから。だからあなた方も頑張ってほしい。

僕は人の幸せを願いたい。
僕も幸せでいられるように頑張るから。
お互いが地球のどこかで頑張って幸せで生きられればそれでいいじゃない。

 

だから僕は、平凡で居られることをありがたいと思って生きていきたい。

全くもって、僕はセクシャルマイノリティやLGBTQ代表なんかじゃない。そんな主語の大きな呼びかけなんかしたくない。
たったひとりの当事者で、たくさんある当事者のたったひとつのモデルケースだから言えることがあると思いたい。

悲しい気持ちに寄り添える、当事者の言葉や経験があるように、平凡に暮らせてきた僕だから寄り添える気持ちがある、と思いたい。

そう思って書いていくから。

 

 

 

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