適正評価はどうつければいい。

物やサービスにはそれ相応の価値や評価がついている。
例えば、缶コーヒー一杯は120円〜130円であろう。
喫茶店で飲むコーヒーともなれば、250円〜300円になるのではないだろうか。

ただコーヒーを飲むと言っても、これだけ差のがあるのは、そこに人がそれだけの評価をして対価を支払っていると言うことだ。

またその認識を日本の社会の中で浸透し、相場つまりコーヒーはこのくらいと言うのが植え付けられている。

ではここで10万円もする一杯のコーヒーを出したとき、人はこのコーヒーを飲むだろうか?

一般的にはコーヒーに何故こんなにも支払わなければならないのかとなり、飲まない人の方が多い。

だが、物珍しさやお金を使っても使っても無くならない富裕層であれば飲むかもしれない。

何をもって良しとするかは、受け手側次第なのだ。

☆☆☆

人事や人のパフォーマンスに対しての評価はどうだろか?

人の価値をはかるためには、やはりその人が何をしたのか、どんな結果を出したのかが評価としてはわかりやすいだろう。

営業であればノルマ達成出来たか出来なかったか。またそのノルマ達成でも何%アップで達成出来たのかなど。
見方は様々。

経理や受付などはなかなか数字での結果を出す、見せると言うのは難しい部署になる。

見えやすい部署ややっている人に対しての評価と言うのは、誰が見ても納得が行くところだ。

ただ見えにくい、日頃のルーティンが支えるところあるのでこれを成長していないから評価出来ないというのもどうだろうか。

色々な企業が自社のルールを作り評価基準を設けて評価している。

日本人はとくに平等が好きだ。
公平に評価するための評価制度をまず考えてしまう。

問題なのは、公平に評価としようとすること自体、不可能ということだ。

公平に、平等にしようとすればするほど、レベルは落ちていく。

適正評価にするのであれば、双方が納得して合意してはじめて評価になる。

缶コーヒーを120円で飲みたいと言う人もいれば、あの程度だったら50円でしょう。
と言う人もいる。

もちろん逆の500円出してもあの缶コーヒーがいい!と評価する人もいる。

出す側も受け取る側も合意があればそれが適正評価なのだ。

人事の場合、相手が人になる。
人は感情の生き物だ。

他人と比べ自分が上か下かとなってしまう。
そのバランスを考えすぎてしまい提示する評価が適正でないことが多い。

自分の価値とは何なのか?
評価する側、評価される側。自分の価値はこれですと強く言える人になっていきたい。

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