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原因自分論

最近みた動画で

『原因自分論』


という考えがすごく好きで


私もそうあろうと日々努力しています。


何があろうとも自分に原因がある
という在り方。


それは、今目の前の人に対する
イライラだったり
不安だったり
怒りだったり


そんな感情でさえ、全ての感情は
全て原因は自分にあるという考え方です。



そもそも相手はコントロールできません。

そして相手には相手の人生があり
私には私の人生がある


それはそれぞれの人生で
それぞれどう生きるかは
それぞれの勝手で



そしてそれぞれ各々
人生を描く権利があります。



どうやって生きるか?


はそれぞれの経験から、学び得るもので
時にはもがき
時には苦しみ

そして創り上げていく

そういうものなんです。


だからこそ、
仮に少し先に生きてて
少し経験があって

もし目の前の人の
行きたい方向の
結果が、もし仮に私からその先が読めても



その答えを求められず安易に
良かれと思って助言するのは

相手の人生を邪魔していることにすぎません


出来ることは、

もし仮に相手が色々模索した末に
相手から求められた時
こちらから寄り添えるところだけ
寄り添うというスタンス


その根っこには
『あなたにはあなたで人生切り開ける能力は十分にあるよ』
という想いです。



相手を信じるということ


どんな人生でも
どんな風に転んだって
どういう風になっても


ただ信じてる

ということ


それが丸ごとその人を
認め、愛するということ


出来ることは


相手のことを丸々信じ

相手をどうこうした方がいいと、ぐちぐち考えてたり、コントロールしようとするということはいっさいやめて

その代わりに、自分の価値は自分で認めることだけに集中するということ。



心配される

という行為は言うなれば

信じてもらえていない
ということ


それは同時に
他者に心配している
その自分の中に


自分の中に自分の心配事があるということ。


自分の心配ごとを
他者の心配ごとと言うように
すり替えて

観ているだけ



まず目の前の人を
どう思ってるか?
そこに気づくこと


心配している
と思った瞬間
そこに気づいたら


すぐさま自分の中に
自分に心配している要素はないか?

そんな風に考えると言うこと

目の前の相手は鏡です。


目の前が平和になればなるほど
自分の中に平和がどんどん訪れることでしょう



私はもっともっと自分で自分も満たしていこうと思います。

それが私自身のためになり
そして目の前の人のためになり
そして目の前にいない人のためにもなると思うから。



私が自分で責任とれる、いつもご機嫌な人ならばきっと、その影響はとてつもない広範囲での好影響になると思うから。




やはり基本、自分ありきです。


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