『推し、燃ゆ』は、彼女たちの日常。

こんにちは、 ナカちゃんです。

今年の芥川賞 宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』読了いたしました

 高校生の娘も「読みたい」といい、2,3時間で読了。私もそのくらいの時間で読み切りました。

 クラスの女子も、「読みたい」が多数。いつもの芥川賞よりも、女子達の関心は高く、「推し活」に生きる女子学生に圧倒的な支持を受けているようです。

 今までの文学には無かったスタイル!!と、文学界ではセンセーショナルに絶賛されていますが、

 中高生に言わせると、「これ、いつものウチのことだし。」

 確かに、アイドルの推しを熱烈に推すことが生きる糧になっている女子のなんと多いこと。推しのジャンルも様々で、ジャニーズ推しの正統派(ジャニヲタ)から、バーチャルアイドル(○トプリ)推し、K-popアイドルの推し、声優推し、アニメのキャラクター推し、スポーツ選手推し、などなど、挙げたらきりがありません。とにかく、「推し」が生活の全て。推しが無いといけていけない、なんて、しょっちゅう言っています。

 そんな青春真っ只中の彼女達も、すくすくまっすぐ、明るく育つわけでもなく、大なり小なりの問題を抱えているのです。

 それが、今までよりも複雑になっている。

 発達障害、拒食症、不登校、家族離散、ネグレクト、、、。

 程度の差はあれど、何かしらの「生きづらさ」を抱えているのです。

 『推し、燃ゆ』の主人公あかりは、まるで自分のようだ、と 彼女たちは口にします。

 自分の「推し」が、暴力問題で炎上し、人気が凋落、そして、「一般人になりたい」と言って、引退。そこには、結婚問題があって。。。

自分の日常、自分の生を犠牲にしてまでも、推しに尽くすあかり。

“IDOL ”という英語には、「偶像、偶像崇拝」という意味があります。

神=推し に、自分を捧げるあかりは、自らの肉体をも否定しようとします。

 異常とも思える彼女の推しへの執着と、それを奪われたときの喪失感。ラストシーンの、綿棒=白い骨の描写が秀逸です。

 確かに、プロットは凡庸かもしれません。でも、この作品には、匂いや手触り、空気など、「画像として浮かぶ生々しい表現」がこれでもか、というくらいに使われています。この研ぎ澄まされた感覚をもって創る文章は、誰にもまねできない、21歳の宇佐美りんだからこその、表現だと思うのです。

これは、「持って生まれたセンス」としか言い様がない。

 10代の少女達が持つ、アンビバレントな感覚、不安定さ、憂鬱、死への憧れ、親との確執、兄姉への嫉妬など、何かどす黒いものが渦巻く内面を、「推し活」という信仰から浮かび上がらせたのが、この作品だと私は思っています。

 「10代の頃は、わけがわからなかった。」という現象を、「中2病」と呼ぶならば、それは男子だけのものではありません。キラキラとした、明るい青春なんて、幻想なのかもしれません。

 いつ、「推し活」が自分の中で、終焉を迎えるのか。それは、誰にもわかりません。青春がいつから始まり、いつ終わるのかなんて、誰も知らないのです。遙か彼方に、その残り火が見える人もいる。そして、「死ぬまで、推し活を続ける」という人もいる。

 最後の情熱を燃やしきるまで、「推し活」はつづく。その炎に、自分が焼きつくされてしまう前に、逃げ出すことができるのか。

 自分を焼き尽くすまで、誰かを「推す」

 その愛の先に、何があるのか。

 書かれていない答えは、あなた自身が 見つけてください。





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