30年前に諦めた夢が今に繋がってた

那珂です。

#退職エントリ  というお題を見つけました。

 結構皆さん「すぐにでも」という方が多くて驚いていますが、5年か6年後くらいでも良いでしょうか?

私の話を聞いていただけたら、嬉しいです。



 高校生の時になりたかったものに、今なれている人はどれくらいいるんだろう。

 18歳の私は、なりたかったものになれなかった。

 高校生の時、私はスポーツドクターになりたかった。でも、それだけの能力がなかった。医者には、なれなかった。

 ならば、スポーツトレーナー、選手を支える裏方の仕事をしたい。そう思った。

 当時出来たばかりの「スポーツ科学部」がある東京の私大を第1志望校にした。

 親の理解は、得られなかった。

「そんなとこ行って、どうするの?」「何になれるの?」

 何度も喧嘩した。

 第一希望の大学を受験させて貰う代わりに、地元の国立大学を受ける条件になった。

 本当は、違う場所にある教育大学に行きたかった。そこにも「スポーツ科学科」があったから。

 でも、親は「どうせ、同じ教育大なんでしょ?だったら、地元で受けなさいよ。」と言ってきた。もう、めんどくさくなってしまった。

 運良く?(運悪く)、第一志望の大学は、不合格になった。

 そして、受験した国立大学2校に合格した。

 私大入試のために、理系から文転して、ものすごく勉強した英語のスコアがたまたま良かった。それだけの理由で、英語科へ進んだ。そして、教師の道へ。

 小学校で教員をするつもりだった。

 でも、初任地は中学校。小学校にも勤務したけれど、中学校に戻してもらった。2度めの中学校で、運動部に関わることになった。

 技術を教えられるような選手だったわけでもない自分。そんな自分でもできることは、選手のケアだった。チームの一員として、役割があることがとても嬉しく、やりがいのあるものだった。

 でも、いつも不安だった。

「これでいいのかな。」

 次の異動先で、運動部の担当になることはなかった。


 そして今年。

 「最後の学校になるかも」と思った転勤先で、ある個人競技の担当顧問になった。

 技術は教えられない。でも、自分にできることはなんだろう。

スポーツ選手を裏方で支えること。

 ベストを尽くせるように、最高のコンディションを作る援助をすること。

 30年前に、自分が目指そうとしていた仕事が、目の前にあった。

 50歳を目前にして、あの夢を忘れずにいた自分がいた。

 スポーツドクターにはなれないかもしれないけれど、再勉強も、ありかもしれない。

 生徒たちのスポーツ離れは、深刻だ。そして、故障や怪我がとても多い。

 安心して、スポーツを楽しんでもらえるために、何ができるのか。

 今すぐにではなく、時間をかけて、あの夢を取り戻してみたいと思った。

 お金の問題や、実際に学校に通うことの難しさもある。でも、何年かかっても良いから、ちゃんとした「資格」を手に入れたい。

 自信を持って、トレーナーとしての仕事をしてみたい。


 このきっかけをくれた選手に出会えたことが、奇跡。

 気迫溢れる君の試合が、私の心に火を灯してくれたんだ。

 何年経っても、消えずに燃え続けることができていたなら、それは本物だ。

 この気持ちを、諦めずに持ち続けることができれば、

 きっと夢は叶う。 

 君の夢も、叶えよう。

 一緒に、がんばろうぜ。



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