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源氏の地に流れ着いて〜Kamakura 1


私の人生は凡そ自分の想像通りになりません。
思いもよらぬ地で
故郷より長い年月住んでいる事もその1つ。

思えばこれには不思議な予感はありました。
それは初めて見た大仏トンネル
暗い穴の前でのことでした…。

仕事で転々とした私は二十年ほど前、
永井路子作の歴史小説『炎環』を読みました。
当時、小説舞台の隣街に住んでいた私は、
古の侍の都、鎌倉を訪ねたのです。

観光案内所で簡単なマップをもらって眺めると、

大仏、長谷観音、鶴岡八幡宮、銭洗弁天、と
ガイドブックの筆頭に上がる名所が目に入る。

大仏切り通し、釈迦堂切り通し、化粧坂。
比企一族、和田塚、腰越、梶原、常盤御前

小説に出てくる地名や武者の名も見つけました。

まずは段葛(だんかずら)という参道を歩き、
鶴岡八幡宮へ。参拝のあとは、
賑わう小町通りを通って駅へ戻りました。

鎌倉駅から江ノ電に乗り、和田塚を過ぎて走ると
線路沿いのお宅の食卓が見える事に驚きながら、
ふと、関西に住んだ頃に通った
京都の太秦、嵐電のことを思い出していました。

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駅から3つ目の長谷下車。
有名な大仏で仏の胎内に入り、寺院を出たのが
午後3時半過ぎ。

バス通りに出て、フラ〜と右方向に歩いて
大きなトンネルが目に入ったときでした。

その佇まいが、ひどく懐かしい。
そんなはずはない。初めてなんですから。
でも胸を切なくする情感が確かにあった


地図で確かめると『大仏隧道』と書かれ、
トンネルの向こうは地図が途切れていました。

観光名所はないし、それに…
行けば帰れなくなる、そんな気がしました。

私はトンネルから漂う誘惑を断ち切り、
不思議に思いながら歩いて鎌倉駅へ戻りました。

それから5年後、都内に仕事が変わりました。
都内に住むことは考えられない。ならば、
今よりひと駅でも都内に近づく隣の鎌倉に
諸条件を満たす物件を依頼したところ、
不動産屋さんに案内された家が、
あのトンネルをぬけた先だったのです。
以来私は、その地域にずっと住んでいます。

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鎌倉には、大勢の武者たちの
思惑や攻防が渦巻いた時代
があります。

平家に追いやられた源氏再興のため、
緒戦で活躍した義経、幼名牛若丸
一ノ谷の合戦では鵯越(ひよどりごえ)の奇襲、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた
戦の天才義経は、戦術に長けていても、
政治家の兄、頼朝の心理を図る能力は持ち合わせない純な武者でした。

誕生間もない武家社会の土台作りの過程で、
棟梁を脅かす危険分子と見なされて
討伐の命が下され、
義経は奥州(東北)藤原のもとへ逃げた後、
遂に自害
します。

その首あらためをしたのが、梶原景時です。
私には何故か気になる武者の筆頭です。

梶原景時が頼朝の命を受け、和田義盛と共に、
義経の首と対面したのは腰越海岸
江ノ島を背景にした鎌倉海岸の西端です。

134号線で腰越海岸を通るたび、江ノ島と黒柩を前に立つ梶原景時の姿が浮かびます。

平家を滅ぼした後、源氏の世を設立するには、
坂東荒武者を束ねる有能な側近が必要でした。

梶原景時は、もと平家側の武将でした。
流人の身だった頼朝は、
平家一門に石橋山で合戦を挑み、惨敗。
土肥実平を伴い夜山に逃げ込んだところを
梶原景時に遭遇しました。
景時は旧知の友、土肥実平が
背後に隠れる頼朝を死守しているのを感じつつ、
見逃した
のです。

この出会いが
頼朝の運命を変えたことは確かです。
頼朝は後に景時を召抱え、重鎮に据えました。

梶原景時は鎌倉幕府では孤立した武将でした。
幕府成立の過程で、
有力者たちが謀反の可能性を持つと思われ、
次々討たれて消えるのは
景時の進言のせいだと噂をされたようです。

永井氏の『炎環』では、公家臭を残す優柔不断の
頼朝を武家の棟梁にする為に、
憎まれ役を自ら担った人物に描かれています

景時は周囲の有力豪族全てから敵戦の的となり、最後は上洛途中に一族郎党果てたのです。

私が偶然住み始めた地区の小学校敷地内に
梶原景時の墓
があります。
そんな場所に頼朝の右腕だった武将の墓が
ポカンとあると知り驚きました。

近くに位置する1階の教室は、ほぼ使用されず、
感の強い生徒には廊下を冷たい霊気が這うのが見えると聞いた事があります。

その男子は、友達のY君が健康で明るくて
元気バリアをはっているから、僕は一緒にいて

彼の気の力を借りて結界を張るんだ、と
話してくれました。

鎌倉は住宅地と墓所が隣接するのは珍しくなく、
名もわからない人たちの墓所や祠もあります。

近寄り難い霊場もあります。
観光や物見うさんで立ち入らぬよう、
鎌倉市の立て札がされています。

家を建てる過程で埋蔵物が出てくると
遺跡発掘が優先になり、完了するまで家を建てる事はできない決まりがあります


私は自分の立つ足元の土を見て思います。 

この土は、いろんなことを知っているんだろう。
この下に、どんな歴史が重なっているのか。

私は鎌倉が好きです。
平和に住んでいることはありがたい。
あたりまえですが、
土地に感謝と敬意の思いを持ち暮らしています

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土地や鎌倉時代の大河ドラマについて、
また回を変えて書きたいと思います。
ここまで長文お読みいただき、
ありがとうございました。


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