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彼岸に寄せて

昨日、JRの駅でもらった遅延証明書を見て、
ふと気づいた。
2022年9月22日。
父の命日だ…。
もうかなりの年月が経つ。

家族の誰も、この日を意識していない。
私は妹にラインをした。
“今日は父さんの命日だよ、おはぎでも買って食べてあげよう”

私達の父は、母と別れ、5年後に亡くなった。
妹には新しい父ができ、その人は学校の校長先生で小さかった妹はその人を父さんと呼んだ。
高校三年だった私は最後まで先生と呼んだ。

母は毎朝、亡くなった先生にお線香とお経をあげて85歳の今も生きのびている。

最後に娘ふたりと会わずに逝った父は
私の生まれ月、妹の生まれた日を命日に、
一緒にいた女性と寺に納骨されている。
父の実家の墓、東京の青山霊園から遥か離れた
北海道の山寺だ。

身内が噂にあげるのも拒むような人たちだが、
父の付き合った女性が寺の娘だったとは、
なんだか奇妙に思う。

私は父が大好きで亡くなった時のショックは言葉にならなかったけど、骨がどこに行こうと、そこに心は動かない。

墓や仏壇にもあまり思いがわかない。
私も亡くなってどうして欲しいとも思わないのは父ゆずりだ。

なのに矛盾するかも知れないが、
魂はあると思っている。

体が朽ちても簡単には消えない存在感を持って
ほぼ永遠にあると思えてならない。

私を特徴づけたDNAの中に記録されたものも
魂と通じているだろう。

何が好きで何が嫌いで何が得意で何ができなくて、どんなことに腹を立て、何をしたくて生まれて、何を達成しようと生きているのか。

その芯になるものの存在。

それは父や母から受け継ぎ、さらには祖父母、もっと前から繋がっているDNAに脈々と埋め込まれて、生まれた命題を具現化する核、魂。

DNAという仕組みを作ったのは誰だろう。

とにかく人が死んで体は朽ちたら、
それきり無だ、とはどうしても思えない。

体のおかげで人間家業を味わうことができた、
うまくいった事もあるが、あれは失敗だ。
再チャレンジする機会を自分はここで待つ。

これが私の中にある私、父の中にいる父。

世間は墓や位牌、仏壇には執着するのに、
魂の存在をさほど真剣に見つめない。
私はそれが不思議だ。

彼岸は、昼と夜が同じ長さになる日。
あの世もこの世も、
どっちもあって、ひとつと仏教は観ている。

実は、ロボットや動物やヨーダのような存在と一緒にロケットに乗っている夢を、
私は小さい時に何度も見ていた。
あれはここに来る前の記憶だと思っている。

私たちは庭つきの白い家の前に着陸し、
一人だけロケットから降り、
おじさんが家から出てきて迎え入れてくれる。

なぜか、このおじさんは、
口髭のラテン系の明るいおじさんだ。
そしてロケットは次の着陸地に向かう。

ロケットに乗る前に私のいた所は、
視界全部が水晶のように輝く綺麗な
クリスタルチューブのような所だ。
大きな細長いビー玉の中にいるような視界だ。
そこには一人の男の人の影が、
付かず離れず常に居てくれる。

魂の場所には悪魔サウロンの眼のような
炎の裂け目もあるかも知れない。

父はもしかしたら、そっちに行ったかなあ、と
心配したこともあるが、
尊敬するお坊さんに聞いたら、大丈夫でっせ、
ちゃんと上に行かれました、と言ってくれた。

一度、亡くなって、戻ってきた知り合いに
教えてもらった事がある。

上に行くほど体が軽くなり、上昇を続ける。
でも彼は自分の意思で戻ろうと決めた。
戻るにつれて、どんどん自分に重さがついて、
徐々にすごく痛くなって身体に戻った。
この世って、本当に重たいよって言った。

すごく納得。
この世で明るく、軽くは貴重なことらしい。

お彼岸の今日、
エリザベスさんには、次の景色が見えているかもしれない、なんて思っている。

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