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記憶の片隅に、さよならチヨさん

 

 もう15年以上も前になるだろう。私がデイサービスに勤めていた頃の話。チヨさんは80代。ぼんやり明るさを認識できるだけの中途視力障害の方。

 「待ってたのよ〜今日は遅かったのね!」

 花が咲き誇る庭を通り、玄関を開けたら、光沢のあるシルバーのショートカット姿のチヨさんの顔がみえる。手には青い巾着袋を持っていて、その中身はデイサービスの手帳と、ハンカチ、ちり紙、押すと声で時刻を教えてくれる時計、そして飴玉が入っているの。

 チヨさんがもうひとつ握りしめてるのは、縄跳びの様な持ち手がある長い紐。それは部屋の中で位置確認の役割を持っているの。手すりを伝ってトイレや玄関に移動したあと、その紐を手繰り寄せて行くと元の場所に戻れる様に、居間の柱に結んであるんだ。

 元々職業婦人として社会に生きていたチヨさん。その血を引かれたのだろうか、娘さんも公務員。警察に勤めているってチヨさんは誇らしげに嬉しそうに喋るの。忙しい娘さんは休日か夜しか家には居ない。チヨさんはデイサービスに行かない日は日中はひとりなので、色々工夫されているのね。

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 チヨさんにはボーイフレンドがいるんだ。チヨさんに会いに、二ヶ月に一回デイまで来られるの。年齢は60代かな?シルバーグレイの髪を整えてジャケット姿で来られる。そしていつも決まって、手の平サイズのプレゼントを渡されるのよ。それを貰うと笑顔のチヨさんの頬はパーッとピンク色に。

 ある日ベンチで二人きりおしゃべりをされていた。聞き耳を立てていたわけでは無いんだけど、いや、ほんとよ、聞こえてきたのはプレゼントの中身。それはカセットテープ、本の朗読を吹き込んでいる手作りのテープ。

 もしかしたらボランティアの方なのかもしれない。昔チヨさんにお世話になった方なのかもしれない。それでも、朗読のテープって想像以上に時間がかかるでしょう?!想いも手間もかけて行動ができる、そういう関係性を築けるってすごいなって、感じたんだ。

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 当時、私は色々な理由で行き詰まっていた。時間が足りない、生活する為の最低限度のお金が足りない、夫婦間の会話・信用が足りない。アップアップする毎日で溺れそうになっていた時、利用者さんの些細な言葉に落ち込み、その悔しさを共有して欲しかった職員に軽く注意され、撃沈した。

 今思えばどうってことない事ばかり。利用者さんに良かれと思ってした事を誤解されるなんて日常茶飯事だもの。まだまだ、甘えがあったんだ、覚悟が足り無かったんだと今ではわかる、痛烈にわかる。でも当時の私は砕け散ってしまったんだ。そして、デイサービスを辞める事を決めた。

 

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 辞める当日利用者の皆さんに報告した。「いい人ばかり辞めてて行くのね」そう言ってくれる人もいたけど、いやいや、いい人は辞めたりしないでしょう?意気地なしだから辞めるんだ、そう心で呟いていた。

 「電話番号を教えて欲しいの。またお話ししましょう!」私はチヨさんにそう頼まれた。

 「帰る前までに教えますから待ってて下さいね」私はそう答えた。

 帰る時間が近づくとチヨさんは私にまた言った。

 「連絡先を教えてちょうだい、ねっ、お願い!」

 「いま、ちょっと時間がないので、後から教えますから」

…チヨさんを送る送迎車には別の職員が付き添って、私は乗らなかった。チヨさんに後で教えるって約束は果たさなかった。

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 チヨさんの事を覚えているのは、目が見えないという逆境に負けない明るさとチャーミングさを持っているから。隣に座ってお話しする時、柔らかな手がおしゃべりするように肩をさすったり握手したり、いつも相手と一生懸命コミュニケーションをとって向き合ってくれた。それなのに。

 私がチヨさんを忘れられないのは、淡く切ない思い出のせいじゃない。そんな綺麗で優しい話ではなくて、曖昧な言葉で逃げてきたせい。きちんとサヨナラしなかったから。「後から教えますから」なんて、すぐわかる嘘、冷酷な言葉。教える気なんて無かったのに。

 今ならわかる。泣かれたって、怒られたっていいから、きちんとお別れをするべきだったんだ。チヨさんは前も知らないうちに、息子のように慕ってくれていたデイの仲間を亡くした。そのまま知らされることもないまま。職員の私からは、ちゃんとした言葉すらもらえず関係性を断ち切られる。

 「ごめんなさい、もう会えないけれど、電話もできないけど、チヨさんの事はずっと忘れません。お元気でいて下さいね」

 何故そう言えなかったんだろう、別れって誰とでも必ずあるものなのに。何を怯えていたんだろう。もう会えないって、伝える誠実さも持たないで、曖昧な言葉で別れを濁して…

 友人や家族とだって、いつ永遠の別れが訪れるか分からない。コロナの時代、会えるのはこれが最後かもしれないって痛感するもの。それなら思いを伝えなきゃ、誠実に。例えそれが傷つけることになったとしても。

 私がチヨさんを忘れられないのは、傷つける事で自分が傷つくのが怖かった、そんな自分の弱さ、未熟さ、卑怯さ、それが、置き去りにした記憶の中を彷徨っているからだ。

 置き忘れてきた自転車を探しても、もう出てこないように、もうあのデイサービスは跡形もなく無くなってしまった。チヨさんと私を結ぶ紐はとっくに切れてしまって、苦い思い出だけが残像を留めている。

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