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中編小説 笠地蔵異聞(5)(最終話)

はじめに

 笠地蔵異聞の第五話(最終話)です。前の話はこちらからどうぞ。

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妻の朋世に誘われて、和宏は件の地蔵のもとへ足を運んだ。あの日以来、遠ざけてしまっていた道だった。遠目に地蔵たちの姿が見える。皆、赤い帽子をかぶっていた。あの地蔵もだ。和宏はあっけにとられたまま、吸い寄せられるように地蔵に歩み寄った。近づけば、地蔵の頭頂に帽子のつばがそびえたっているのがわかる。それは、紅白帽だった。白い帽子のうらに赤い布が縁だけ縫いつけられているから、白と赤の布をつまんで、引っ張ってかぶれば、ウルトラマンのように、つばが頭のてっぺんにそびえた帽子になる。さびしげだったお地蔵さんは、とさかを立てながら、微笑んでいた。
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笠地蔵異聞(5)

音声で楽しみたい方はこちらからどうぞ。

https://youtu.be/j5X1z0dpaXQ

 散歩がてら、ぐるりと廻った。ひさしく通らなかった道だ。曲がってうねって、やはり、知らない景色ばかり顔を出すように思える。何回目かのカーブの先に、それはあった。 

 地蔵たちはみな、赤い帽子をかぶっていた。あの地蔵もだ。

 どう、と朋世がすくうように見る。和宏はあっけにとられて、しばらくは言葉が出なかった。遠目にもなにか違和感を覚えていたが、近づけば、地蔵の頭頂に、帽子のつばがそびえたっているのがわかる。

 それは、紅白帽だった。リバーシブルで、片面が赤、片面が白。白い帽子のうらに赤い布が縁だけ縫いつけられているから、白と赤の布をつまんで、引っ張ってかぶれば、ウルトラマンのように、つばが頭のてっぺんにそびえた帽子になる。

 さびしげだったお地蔵さんは、とさかを立てながら、微笑んでいた。
「かわいいでしょ」朋世の瞳に、いたずらっ子の光が宿る。自分も同じような顔をしているかもしれない、そう思いながら、和宏は、「しかし、大丈夫なのかなあ」。帽子の端には、「優勝」「準優勝」「三等賞」「敢闘賞」のアップリケが、いくつも縫い付けられている。おれたちの時代には、学生帽をかぶらないと怖ーい先生が……。大丈夫じゃないかしら、ね、可愛いでしょ。

 いつものようにかみ合わない会話をしていると、曲がり角の向こうから、幼い声が響いた。「ここ、このさき」。和宏が目を向ける。曲がり角からは、まず、男の子が現れた。「ほら、ここ」。それから、母親と思しき女性と、手足のしゅっとした少女が続いた。

 少女の手が、紅白帽に伸びる。「もう、なにやってるのよ」、と、これは想像通りだった。和宏はせつない安らぎを覚えながら、持ち主のもとへ帰りつつある学生帽を、ぼんやり眺めていた。

「だって、こいつだけ、寂しそうなんだもの」

 不服そうにつぶやいたのは、先払いと一緒になって行進していた男の子だった。

「しかたないわねえ、ちょっと待って」

 少女は中学生くらいだろうか、大人びた口調で弟をなだめると、ポケットからしゅるしゅると、ピンク色のハンカチを出した。そして弟に向けて、手のひらを差し伸ばす。なにを求められているのか、分かったのだろう。弟もポケットからちいさなハンカチを出して姉に託した。少女はそれを器用に結わえて、ターバンのようにお地蔵さんの頭をぐるりと包む。水色のハンカチとピンクのハンカチの先が、ぴんと張った。わずかに、届かない。

 ひねられたハンカチが、行き先を失って地蔵の額に垂れ下がった。少女はほかの布を求めて服じゅうのポケットを手のひらでなぞる。和宏も、知らず、自分のポケットに手を伸ばしていた。

「ねえ、お母さんのハンカチも、いい?」

 少女の言葉に背を押され、和宏は、声をあげた。

「あの……」

 少女が驚いたように和宏を見上げる。母と弟も同様だった。

「これ、使ってくれないかな」

 手渡した濃紺のハンカチは、すぐにターバンの端になった。少女がハンカチを結わえる間、紅白帽は和宏が預かった。若い母親と、朋世のハンカチが加えられ、色鮮やかな頭巾が完成した。

 「ありがとう」、和宏の口から、自然と言葉がもれていた。自分の心の奥深くから漏れ出した声のようでもあり、お地蔵さんに言わされた声のようでもあった。

 子どもたちは一瞬キョトンとし、それから姉が笑顔で言った。「こちらこそ。ほら、おじさんにありがとうは」、ついで弟が、「ありがとうございました」、声を張り上げながらぺこりと頭を下げた。和宏は、その小さな頭に、紅白帽をのせた。

「いい帽子だものな、大事にするんだぞ」

男の子に言うとも地蔵に言うともわからない調子で、ひとりごちると、言葉が風に溶けていった。男の子が、うん、と、大きな声で返事をした。

 その日は、朋世とふたり、ゆっくり坂を下った。アジサイが目にまぶしかった。土の匂いに畑をかけずり回った日々がよみがえる。角帽を捨てたあの日から閉じ込めてしまった思いが、少しずつ氷解しているようだった。

 和宏は、まっすぐ前を見つめながら、隣を歩く朋世に声だけを投げかけた。

「ほら、昼に回ってきた回覧板。町民大学のこと、やってただろう」

 あったっけ、と、朋世が首をかしげる。あったさ、一緒にもういちど、学生をやってみないか。

 朋世には唐突なことに思えたらしい。ほんの少しの沈黙があった。和宏は妻の顔をみやった。「お互いが学生だった時なんて知らないじゃない、一緒にもういちど、だなんて」優しい目じりに笑いがにじんでいた。「今年は、新しいことばかりの一年になりそうね」朋世の言葉にうなずきながら、和宏は坂の先に目を細めた。暮れ方の海は、穏やかな橙の光を空に返していた。(完)

作品に寄せて

ここまでお読みくださった皆さま、本当にありがとうございました。

「笠地蔵異聞」、いかがでしたでしょうか。

昔話が好き、昔語りが好き、お地蔵さまも好き。

隠岐で生活していたとき、ある日いつもと違う道を歩いたのですが、その道の先にいたんです。たった一体だけ、頭巾をもっていないお地蔵さまが。

知人の紹介で、ある島の小料理屋に行ったとき、そこの大将が、昔語りをしてくれました。田舎の学校から、ある日を境に放送局で見習いをするようになって……決して順風満帆ではなかったその思い出は、さながら小説のようでした。

おそらく多くのケースにおいて、そうであろうと思うのですが、私の小説には、私が見聞きしたことが虚構と混ざり合ってたしかに存在しています。

あのお地蔵さま、あの小料理屋の大将が、穏やかな幸せに包まれるような、そんな話を書きたくて、私なりに紡いだ物語でした。

もしよろしければ感想等、お寄せいただけるととても励みになります。どうかお気軽にお感じになったことを投げてやってください。よろしくお願いいたします。

ちなみに、またあらためて公開しますが、お地蔵様にまつわる小説は、松江編も書いたことがあります。島根県内を異動で転々とするうちに、出雲國と隠岐國で、お地蔵さんに突き動かされるようにして、短い小説を書いたのでした。さて、残すは石見國。これがなかなか難しい。心震える昔語り、趣深いお地蔵さまって、探しているときには出会えないものなのかもしれませんね。いつか巡り会えるときが来ると信じて、気長にその日を待とうと思います。

来週からは…浦島編に突入します。

一ヶ月強、小説を掲載し続けてきました。さて、そろそろ箸休め。……になるかどうかは分かりませんが、私が大学時代から研究テーマにしている浦島の話を少しご紹介したいと思っています。「笠地蔵異聞」はこれにて一区切りですが、よろしければ来週以降もお付き合いいただけると嬉しいです。

むかしむかしの砂浜で
禁忌の箱が開きました
それから彼らは、どうしただろう……


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