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中編小説 笠地蔵異聞(1)

はじめに

 隠岐に住んでいた頃に書いた中編小説を、これから何回かに分けて投稿していこうと思い立ち、第1回目を公開してみました。島で見た風景、耳にした話を散りばめつつ、笠地蔵に着想を得てまとめたものです。昔話の面白さも感じていただけたら嬉しく思います。

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定年退職を機に妻と二人で地方に移住した和宏は、ある日の散歩中、道ばたの地蔵を見て足を止める。赤い頭巾をかぶって並んだ地蔵たち、そのなかの一体だけ頭巾をかぶっていなかったのが妙に気にかかった。「どうして、あいつだけが……」、少し、周りより背が低く見えたのは、やはり頭巾の有無だろうか。鮮やかな赤にはさまれて、委縮しているような石あたまだった。その姿は和宏に、若かった日の苦い思い出を呼び覚ます。
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笠地蔵異聞(1)

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 トーストをコーヒーで流し込み、しばらくはテレビを眺めていたが、どうにも手持無沙汰だった。土いじりのコーナーが終わったのを機に、和宏は腰を上げた。スラックスに足を通し、ポロシャツをかぶる。風呂場横の洗濯機に寝巻を投げ込んで、「ちょっと歩いてくる」、台所に一声かけた。

 土曜の朝。午前中いっぱい寝るつもりだったのに、目が覚めてしまった。

 春に引越しをした。還暦を迎えたのちも四年勤めた職場だったが、昨年になって体の悲鳴が聞こえるようになった。夜眠れない。朝は早く目が覚めるくせに、いつまでもぼんやりしている。寝るだけの体力がなくなったのだ、そう気付いたとき、ようやく慣れ親しんだ職場を離れる決心がついた。小さな花束を手に、半世紀ちかく世話になった会社を後にしてからは、どう時間を過ごしたものかわからなかった。
 
 安らげない。そのことには、早いうちから気付いていたように思う。異様に長くなった一日をもてあまし、ごろごろするばかりだった。一週間もたたずして、罪悪感と不安に圧迫されている自分に苦笑した。充分に寝たはずなのに、どことなく疲れた自分の顔を見つめ、隈のある目元を鏡越しにわらった。仕事人間でしかなかった自分への嘲笑だった。

 自然に恵まれたA町へのIターンを思い立ったのはそんな生活を三カ月ほど重ねたころだ。少年時代を過ごした田舎は、とうの昔に開発されている。どこか、ちがうところへ行きたかった。

 もともとこじんまりとした二人暮らしだ。妻の朋世に相談すると、すぐに話がまとまった。あっちも、今の生活をもてあましていたらしい。何回か下見旅行をし、「二月の終わりには、お仕事で来る人たちが動き始めますから」、不動産屋にそう促されて、寒さが緩む前に住まいを定めた。
 
 ウォーキングシューズを履いてドアを開けると、空が白から水色に、あわあわと染まりつつあった。海の穏やかな青に惹かれて選んだ町だった。アジサイが咲き誇っている。昨夜、雨の音を聞いたような気もするが、土が匂うばかりで、涼やかな気配など、どこにもない。
 
 朝の散歩を始めたのは、生活が落ち着いた梅雨入りのころ。そろそろ、ほかの景色を見ようか。いつもは潮風に向かって歩くが、その日は海の方へ数歩下ってから踵を返し、山へ向かう道を取った。

 長い坂道だった。緩やかであるからたいして気にもならなかったが、一つ目のカーブに沿ってしばらく歩くと、別のカーブがまたあって。すぐ終わるだろうと思っていたのにいつまでもゆっくりと上り続ける。曲がった先には、また新しい景色が見える。おかげで散歩の楽しみが続く。
 
 何度目かのカーブの先に、地蔵があった。

 おや、と思う。五つある頭のうち、四つは真っ赤な頭巾をかぶせられているのに、一つだけ、茶みがかった石あたまをぽっかり出していた。なんとはなしに足を止めて見る。蝉の声が大きくなったような気がした。
 
 手前から、いち、にい、さん、とベレー帽のような頭巾が並ぶ。前掛けも鮮やかな赤だ。一番遠くのお地蔵さんもおなじ装いですましている。それなのに、奥から二番目だけが、みすぼらしかった。古ぼけて白ずんだ前掛けを、斜めにひっかけているのみだった。

 いやなものを見た気がした。足早に立ち去った。蝉しぐれが追いかけてくるようで、足先だけを見つめながら歩いた。

 しばらくして、T字路に行き当たった。立ち止まると、じっとり汗が染みだす。右手が上り坂、左手は下り坂。どちらに回っても帰れるだろう。そう思って左をとった。

 どうして、あいつだけ……。考えまいとしても、浮かんでくる。
少し、周りより背が低く見えたのは、やはり頭巾の有無だろうか。鮮やかな赤にはさまれて、委縮しているような石あたまだった。

 ずいぶん長く下ってきたような気がした。ようやく眼下に見慣れた町が姿を現した。やっぱり思った通りだ。迷い子が母を見つけたように深く息をつき、和宏は自分のうちを探した。

「ただいま。」キッチンのテーブルに腰を下ろす。朋世が差し出した麦茶で喉を潤し、和宏は話し始めた。
 
「裏山にお地蔵さんが五体あってな。みんな、真っ赤な頭巾をかぶってるのに、一人だけ、坊主頭のままなんだ。なんか、かわいそうでさ。」
「ふうん、そうねえ、かわいそうに。なんでもいいから、かぶせてあげれば。」

 朋世の調子は軽すぎて、話をちゃんと聞いているのかどうか。でも、それぐらいのほうが話しやすいこともある。和宏もつとめてさりげなく、自分の見たものが残していったわだかまりを吐き出した。

「またこれが、端っこじゃなくて、中ほどなんだなあ。あの地蔵にも、昔は頭巾があったのかもな。」(続)


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ここまでお読みいただきありがとうございました。次の話はこちらです。


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