見出し画像

中編小説 笠地蔵異聞(4)

はじめに

 笠地蔵異聞の第四話です。前の話はこちらからどうぞ。

――――――――――
和宏は定年退職を機に移住したA町で、自治会費の集金に来た男から例大祭の行列に加わらないかと声をかけられた。提灯やらのぼりやらをもって、行列を作ればいいらしい。たった一度の打ち合わせでは、行列の構成について簡単な説明を受け、並び順を決め、ためしに公民館周りをぐるぐると歩いてみた。例大祭は夏日となり、スーツ姿で町を練り歩いた和宏は、散会ののち、商店の軒先で販売されていた缶ビールで喉を潤しながら周囲を見回した。一緒に来ていたはずの妻、朋世の姿が見えなかった。
――――――――――

笠地蔵異聞(4)

音声で楽しみたい方はこちらからどうぞ

 A町では、町内会の結びつきが強い。引っ越し後に役所へ行けば、「まず、地区長さんに挨拶ですね」。よそ者も温かく迎え入れられるのは、Iターン者が多い土地柄だろうか。

 「オオマツリがあって」。地区会費の回収に来た男は人懐っこい笑顔で言った。最初聞いた時には「お祭り」だと思っていた。「十三年ぶりなんです。行列に加わりませんか。いや、なに、歩くだけですよ。」各地区が年に一度、神社を拠点に神輿を出して町を練り歩く祭りを取り行っていること、そして今年は「大祭」の年だということは、後から知った。
 
 打ち合わせは一度だけ。提灯やらのぼりやらをもって、行列を作ればいいらしい。服装も、「スーツでお願いします」。その日は、行列の構成について簡単な説明を受け、並び順を決め、ためしに公民館周りをぐるぐると歩いてみて解散となった。

 祭りの日は突き抜けるような秋晴れで、正午前には熱中症への注意を呼び掛ける放送が流れた。集合は十六時。和宏たちには赤、緑、白の鮮やかなのぼりや提灯が用意されていた。周囲では気ぜわしく獅子や天狗の身支度をしている。「よおし、行きますよ」だれが言ったかわからない元気な挨拶で行列は神社を出た。

 先頭を天狗姿の男が歩く。白い鬘に赤い着物、金色の袴をまとって、槍で道を開き、ときに小さな子どもを突く。ぐっ、と、身を引いたのちに、かしらを振って迫る。獅子舞と同じサーヴィスなんだろう、そう思って見ると、泣き叫ぶ子どもも、それに迫る天狗も、どことなくのどかな光景に感じられる。獅子とお囃子が続いて、そのあとを和宏たちの行列が追いかける。さらにその後ろには若い衆たちの神輿が熱気を放っている。

 途中から一人の男の子が、天狗と一緒に歩き始めた。あれは、怖くなんかないという自己顕示なのだろうか。商店街の軒下では見物人が笑っている。
祭りが終わった。神社前の広場から数台の車が走り去っていく。「はいはい、お疲れちゃんだねえ。飲みい、飲み」商店から、女主人の声が飛んだ。緑のビニール屋根の下、発泡スチロールに氷水が張られ、缶と瓶とが泳いでいる。和宏は汗を拭きながら、缶ビールで喉を潤した。缶を捨てるついでにジュースを取ってぐるりと見まわすが、朋世の姿が見当たらない。仕方なくそのまま夕涼みをした。
 
 空がほんのり朱色に変わっていった。ゆるい酔いが残っているうちに帰りたい。和宏は汗をかいた缶を眺めて、ふうう、と大きな息をついた。

「ごめん、捜した? 雄姿はきちんと見届けたわよ」ふいに、朋世の声が飛んだ。隣に腰掛けるや、「ありがとう」とジュースに手を伸ばす。言わなくても伝わるのは、長年つれ添った功だろう。どこへ行ってたんだ、と、この問いも和宏の表情からくみ取ってくれていたらしい。朋世は肩をすくめて笑った。

「ね。あなたが言ってた、お地蔵さん。気になっちゃって」そうしたらね……、朋世が相好を崩す。目元が優しい。「ね、ちょっと行ってみましょうよ、とってもかわいくなってるの」。「かわいい?」和宏が聞き返せば、朋世の目元が、さらに崩れる。なにも言わないのは、見て確かめよ、ということらしい。(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?