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【アラフィフ×離婚】どんなことも表裏一体①

結婚生活20年目を目前に離婚しました。
まさか自分が離婚することになるなんて数年前には考えられなかったこと。
人生は何が起きるか分からない。

今回は離婚してまで挑戦したかった仕事に思い切って飛び込んだものの上手くいかなかった話と、その後の私に何が残ったのか、、そんなことを書きたいと思います。

離婚して2年が経ちました。
前回の記事でも書きましたが、私が離婚してまで挑戦し、やり続けたかったことは「写真や動画を撮ること」です。
これまで(10年くらい)有難いことに環境は変われど写真撮影や編集に携われる職場にいた私。
これからは写真だけでなく動画で人に感動してもらえるものを創りたい。そんな気持ちが日々強くなっていきました。

本格的に動画の撮撮影と編集ができるようにと機材やハイスペックなPCの購入、動画撮影や編集の基礎を学ぶためにスクールに通い自己投資を行いました。(家のお金は使わず出張撮影や分割支払で費用を賄いました)

そして半年後に本格的に転職活動をスタート。
半年間で学んだ動画作品や写真のポートフォリオを提出。会社から出された課題で動画撮影を行い、三度の面接もクリア!
年齢制限の壁も飛び越えようやく一社に内定してもらうことができました。これは、本当によく頑張った自分!と褒め讃えた出来事でした。

が、しかし!ここから。
ここから上手くいかないことの連続が2年も続くのです。。。

まず、正社員として採用が決まった時点で離婚を言い渡されます。
普通の奥さんでいてほしかったと。
ここは長くなるので割愛します。お互いの想いも今後の意向もたくさん
話し合った結果で離婚を選択しました。

会社員としてなんとしても技術を磨き、経済的にも安定させてやる!と意気込んだ転職でしたが。
残念ながら10ヶ月目、1年経たずして退職しました。

理由は「人間関係」
中国人が経営者の会社で広報部として配属された私。
広報部には日本人が私だけで直属の上司も同フロアも全て中国人、台湾人ばかりでした。もちろんそれは承知していたし、会話できるよう勉強も少ししていたのですが。。
お互いコミュニケーションを図る努力はしたものの、専門分野での企画提案や技術習得のやりとりに「にわか言葉」や翻訳アプリでは対応しきれなかったのです。
なんとしても頑張りたいという自分の気持ちとは逆に上司が求めるハイレベルな要望に次第についていけなくなり、自分は何の役にも立たない人間だと落ち込み結果、心が崩壊してしまいました。
言葉ができないを理由に自分を理解してもらう努力ができなかった。
いつしか笑顔が作れなくなり、感情もなくなってしまいました。

ここで私は完全に心が折れてしまう手前で、信頼できる友達に
「助けて!」と助けを求めました。

自分の人生の中で、大泣きしながら助けを求めたことは初めてだったと思います。友達もびっくりしていました。笑

今思うと。
助けて!」と言えたことが前に進むきっかけになったと思っています。
努力したけど上手くできなかった。
この経験は飛び込んでみたからこそ学べたことであり知れたこと。
ちゃんとその事実を受け入れる。

挫折してきた経験が、現在の自分をつくっている。
「失敗しちゃったな。」の裏に必ず自分にとってプラスの要因もある。
そんな風に思うのです。

長くなるので、続きはまた。






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