見出し画像

【クラウドファンディング終了直前】イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズ日本初の伝記翻訳出版をプロデュースしました

自分が書くわけでもない本を、なぜ私はこんなにも一所懸命応援しているのだろう?

答えはひとつ。ほっといたら永遠に翻訳されなかったであろう重要なこの本を、しっかりとした日本語に翻訳された形で、誰よりもまず自分が読みたいからだ。

私はイギリスの音楽をもっと知りたい。
ただ楽曲を聴くだけなら、いくらでも音源は入手できるし、最近はイギリス音楽のコンサートも増えてきた。
しかし、本当の文化の受容のためには、「翻訳」が不可欠である。

曲を聴くことだけではなく、できるだけ一次資料に近い、作曲家の本国の研究者やジャーナリストの手による、信頼できる伝記や読み物が日本語で一般の人々にも読めるようになって、初めてその作曲家の受容が進む。

個人でできることにはどうしても限界がある。
自分が書くことだけを考えるのではなく、もっと俯瞰的に考えて、全体の状況を良い方向に向かわせるために、他の書き手や演奏家のために行動することも、時には必要である。

今回、イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)の伝記翻訳本は、さまさまな人たちのプロフェッショナルな仕事の集積となっている。

ロンドン在住のヴァイオリニスト小町碧さんは、単なる翻訳作業のみならず、演奏家の立場から、作曲家ゆかりの関連機関との交渉や新たな資料・写真や情報の入手にも力を尽くされたことがとても大きい。
もう一人の翻訳者、英文学者の高橋宣也さんは、文章の細部への目配り、注釈の的確さ、「あとがき」での論考が素晴らしかった。高橋さんの存在によって、今回の本は、私の想像していた何倍もの立派な仕上がりになった。
作曲家の加藤昌則さんが巻末に特別寄稿してくださったことも、従来の伝記本にはない優れた特徴となった。ヴォーン・ウィリアムズといえば、ポスト・マーラーの時代を担った、シベリウスやショスタコーヴィチに匹敵するシンフォニストであるが、その交響曲のひとつひとつを、加藤さんは作曲家としての目線で、率直に解説してくださった。しかも今回の小町さんの出版記念リサイタルで、加藤さんはピアノも担当してくださる。こういったキャスティングも、プロデュースの醍醐味である。

小町さんから日本初のヴォーン・ウィリアムズの伝記翻訳出版を相談されたとき、アルテスパブリッシングの木村元さんに編集していただくということは、前回のディーリアス・プロジェクトの成功例があったから、当然の前提のようになっていた。
どんなに意義ある出版物も、採算性ある商品であるかどうかという数字本位で検討されてしまうと、このご時世では企画としてなかなか成立しにくい。
そこでクラウドファンディングで資金を調達して、出版を確実なものにするわけだが、結局もっとも大事なのは編集者の意志と情熱である。そして「編集者の意志=会社の意志」であるような小さな出版社、アルテスパブリッシングは、個人の思いから始まるクラウドファンディングとの相性がいい。

全体の最終校正版を読み終えたところだが、日本におけるイギリス音楽の受容史における画期的な一冊になったと思う。貴重な写真や図版も美しく読みやすい。私たちの暮らしや文化の深いところにも影響を与えている「イギリス的とは何か」についてたくさんのヒントがここには盛り込まれている(たとえば、アマチュアを重んじるということもイギリス的なのだと判る)。二つの世界大戦を通じてイギリスがどう変わっていったかについて、随所に示唆的な記述があったのも良かった。

音楽における文化的ナショナリズムには、ショパンやドヴォルザークのようにある意味、健全なかたちも存在する。ヴォーン・ウィリアムズもその一人であり、それは普遍的な価値や平和主義に通じるものになりうるということを、本書は教えてくれる。

20世紀音楽全体を考える上で、調性音楽の側にとどまった作曲家たちを保守的なものとして嫌悪することは、もはや時代遅れである。ラフマニノフやコルンゴルトと同様、ヴォーン・ウィリアムズの本格的な再評価があってこそ、クラシック音楽はいっそう豊かな未来を迎えることができるはずだ。

あす10月12日はヴォーン・ウィリアムズの150回目の誕生日。
10月17日でクラウドファンディングは締め切りますが、定価よりも本を安く入手できるこの機会をぜひ逃さぬよう!
※クラウドファンディングの詳細はこちら
https://motion-gallery.net/projects/RVW150

下の写真は、1910年のヴォーン・ウィリアムズ

(c)Vaughan Williams Charitable Trust








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?