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美容師を選んだ理由
改めて振り返る。
「美容師になろうとしたきっかけ」
僕が美容師になろうとしたきっかけは、デザインが好きでデザイン関係の仕事に携わる職業に就きたいと考えていました。
とはいえ「デザイン関係」と絞った所でその数は多く、しばらく悩み、自分で考えたり、周りの人達に相談した結果、デザイン関係でも幅広い人達が最も身近で楽しめるデザインはヘアデザインだと自分の中で確信を持ちました。
一般的にデザイナーという仕事は「デザイン」をするだけであって、デザイナー自身が直接、提供するというのは少なく、間に製造業者や販売業者が入ってお客様のものになりますが、これらの仕事を数人で、最小で1人で手掛ける事ができる魅力のある職業だと思い、美容師になろうと決意しました。
4年前のブログの時に8年前……もうそんなに経ったのか。恐ろしい……
文章を作るのは苦手だった学生時代の自分に、今の姿を見せたらどう感じるのだろう。
父は個人で清掃業を営み、母は百貨店や化粧品関係のパート勤めを転々と。実家が美容室だったわけでもなく、昔から憧れを持っていたわけでもない。
小学生の頃はサッカー選手に憧れ、中学生は可もなく不可もなくといった印象だろうか、せっかく家庭教師をつけても熱心に聞くのは洋服の話。高校はさらにマイペースに過ごし、就活はみんなと同じように焦り、卒業前にみんなと同じように求人票から探して決めたごく一般的な流れ。
できたら手に職をつけれたらいいなー……
と漠然とした目標を思い描いていた。
ただ高校生活の3年間は、中途半端にサッカー部に所属して辞める時に先輩と一悶着あった部分を除けば、今に繋がる貴重な時間を過ごしていたんだと思う。
座学は嫌いだったので普通科以外。電車通学して学校終わりにはを友達と駅周辺で遊びたいという安直な理由から隣町の農業高校で過ごした。隣町と言っても田舎なので電車と自転車を使って約1時間。自分が親だったらもっと真面目に考えたら?と言ってしまいそうだが両親の心は寛大だった。
勉強はそこそこに、就職に有利になるから資格ぐらい取ろうと思って、学校から案内があったアーク溶接とガス溶接、一般的な資格はやる気が起きなかったから、自ら専門学生や美容部員らしき人たちに交じり試験を受けカラーコーディネーター3級も取得。
学校が終われば街に繰り出しては、アパレルショップや雑貨屋に向かい、店員さんと他愛もない話をして過ごす時間が心地良かった。その時に頂いたミノルタの銀塩カメラ最終機a70は、最近は使ってないけれど手元にまだ残してある。人の出会いには恵まれていたのが唯一の救いだろう。
そして、様々な人やモノに出会い、芸術や文化に刺激され、美術部でもないのに調子に乗って文化祭のポスターの案を提出したら採用。実家にはそのポスターもあったはず……その文化祭では空間デザインのインスタレーション「独り無言劇」を開催したのも思い出だ。
名前からしてこじらせてる感満載の企画。過去のブログでそれに触れた記事が存在していたので記録として貼っておきます。
そうそう、このブログを見て思い出したけど、服飾の専門学校のデザイン画コンテストにも応募して賞をいただきました。
作文に書いたような「デザイン関係の仕事がしたい」という感情が芽生えたのはこの辺りから。
最初は「自分が作った服が全国各地に広がって、形に残るなんて最高じゃないか。やるなら服のデザイナーがいいなぁ」とも思ったが、未熟な高校生だった僕からはそこまでの道筋がイメージできなかった。長くできる保証も何もないからリスクも高い。
今振り返ると高校生ぐらい若かったら、余計なことを考えずにやりたいことやって、次にやりたいことができたらシフトチェンジしてっていう働き方もありだなって思う。その積み重ねは圧倒的な独自性に繋がる。まぁこれは今の常識だから言えることなんだろうけど。
ただ、ひとつ当時の自分に言いたいのは
「間違いじゃなかったよ」
ってこと。
背中を押してくれた両親にも感謝している。正解かはわからないけど楽しく仕事を続けられていることは有り難いことだ。
求めてくれる人がいる限り、いつまでも鋏と櫛は置かずに働いていたい。スタイリングした髪型は洗ったら戻るし、切った次の日には1mm伸びて毎日少しづつ造形は変わってくるがデザインしたのは紛れもない自分。形に残らない儚さも含めて、ヘアデザインの醍醐味だと思う。
美容業界の幅は広がってきたが、まだまだ競争社会の縦割りの構造。最近また浮き彫りになっている。「美容業界」という大きな船があるとしたら僕はそこから離れて、必死に小さなボートを漕ぎながら戦場になった船を眺めているような感じ。テーラーの信國太志さんも似たようなことを何かの記事で言っていて「まさに!」と思った。
自分自身の価値観で行動するようになったらとても楽になる。美容師は美しい髪型を作るのではなく、髪型と通じて美しい暮らしを共につくっていくという考えはしっかり根付きすくすくと育ちつつあるだろう。
過去を振り返って未来を見る。なんとなく久しぶりに考えてみると自分にとって大切な作業だなと再確認できた良い機会となった。さて、少し立ち止まったら動かないと。また今日も小さなボートを漕ぎ出していく。
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