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自分らしさは必要か?という話

好みというものは日々変わるもので、当時、ずっと着続けようと思っていたアン・ドゥムルメステールのシャツも、ミハラヤスヒロの靴も今はもう手元にはありません。


間に合わせで買った無印良品のシャツは5年以上も所有しているという皮肉……わからないものです。
(きっかけはどうであれ大切にしてるので悪しからず)


ミニマリストを目指してるわけではないけれど、ほとんど使用しないものは、より大切に使ってくれる人の手元にわたったほうが、その物にとっても幸せだろうという価値観のもと生活しているので、服にせよ、何にせよ写真に記録して感謝しつつ、新しい持ち主に譲ったりリサイクルするようにしています。

派手なアクセサリーや、あまり見ない形の珍しいもの、誰もが知っているようなブランドなど、以前は分かりやすいデザインが好きな時期もありました。自分自身の髪型も、前髪と襟足にメッシュを入れたり、ロン毛だったりハードパーマだったり色々と迷走して今に至ります。自分の中で何か大きな変化があったらまたグルグルと巡るかもしれませんが。

背伸びしたかったし、パッと見て目立つものや分かりやすいほうが軽快な気持ちで前に進めたんですよね。そう考えるとファッションの力は偉大で、だいぶ支えられたし、今も支えられています。

美容師として髪型を作る上でも、画家がキャンバスの隅にサインを残すような感覚で、自分が切った証になるようなものをと考えていた時もありました。

ここは必ず入れよう!と、ハイライトとローライトの位置を固定で決めていたり、カットした毛先の質感を不自然にならないように重さの出るラインを残したりと統一したり、その時々で「らしさ」をあえて残すことがサインのような役割を担うのではないかと考えて。


ただ、いくら自分が良いと思っていても、それは自分の「変えてあげたい」という欲求を満たすほうが大きいことに違和感を覚えたため、必要な時に頭の中の引き出しから「こんな方法もありますよ」と取り出すぐらいが自分にとっては丁度良いことに気づきました。


以前、カリスマ美容師全盛期に第一線で活躍していた方の話を聞いて驚いたことがあって、カウンセリングの所要時間は3秒。「可愛くしよっか?」の一言で、初めてのお客様でもそれで進めると言い、圧倒的すぎて言葉が出なかったんですが、自分はその人のようになれないし、目指すかたちもまた違う。


じっくり会話することで見えてくるもの、そこから最適解を導き、共にデザインすること。そこで生まれた髪型によって自信を持ち、お店を出た後に、日々の暮らしの中で、周りから「なんかいい感じだね」って言ってもらえることが一番の証なのなって今は思います。


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