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国内で寄付すらしたことすらなかった私が、海外支援活動を始めたワケ〔前編〕

いつもご覧いただき、ありがとうございます。

本日は私がパラレルキャリア活動の1つとして行っている、フィリピン・セブ島の貧困教育支援活動について書かせていただきます。

先日の投稿では、私が支援活動をしている団体、DAREDEMOHEROの紹介をさせていただきました。

2回に分けて、「なぜフィリピンの貧困支援活動を始めたのか」についてお話させていただければと思います。

そもそも私自身は、DAREDEMOHEROと出会うまでの30数年間、一度も寄付やボランティア活動をしたことがありませんでした。
(もちろん小学校の赤い羽根募金はしたことあります)

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元々学生時代からバスケットボール一色の生活で、仕事し始めてからもバスケットの審判をずっとやっていたため、全く関心がなかったのです。

私はもともと英語科の教員をしながら、好きなバスケットボールと掛け合わせて、国際審判になってオリンピックのレフリーをするのが夢でした。そうすることで「英語を使って何かをする(仕事をする)」ことを、目の前の生徒たちに伝えたかったのです。

〔写真は2011年秋田インターハイで、スラムダンク「山王工業」のモデルになった「能代工業」の試合を、バスケのまち「能代市」の総合体育館で審判した時のもの〕

しかしながら、国際審判になるためには35歳という年齢制限があり、チャンスはあったものの、夢を叶えることはできませんでした。

審判のチャレンジも一区切りして、今後仕事をしながら、英語を使って何かチャレンジできるものはないかと悩んでいました。

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そんなとき、たまたまフィリピンの英語集中研修の情報をサイトで見つけたのです。

私自身、その前からフィリピン人の先生とオンライン英会話をやっていたので、フィリピンの英語レベルについては十分理解していました。

本校担当の旅行者の添乗員に相談したところ、急遽セブ島に視察に行くことになりました。

語学研修先として利用する可能性のある語学学校や観光地を視察をする中で、ソーシャルアクティビティ先として訪問したのが、DAREDEMOHEROでした。


団体としてはまだまだ小さかったのですが、私が心を揺さぶられたのは、その活動内容とビジョン、そして「支援」に対する考え方でした。

さらには「支援」による活動で、団体として「結果」を出していたのです。

団体の説明を聞きながら、私自身の「支援」や「寄付」、「ボランティア活動」に対する考え方にパラダイムシフトが起こりました。

「今の自分に何かできることはないか?」
「ぜひ何かやりたい!」


バスケットの国際審判の夢に置き換わる、「英語を使った活動」のセカンドステージが始まろうとしていました…。

後編へ続く…。

本日はここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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