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好きなものを「好きです」という勇気
好きなものを「好き」っていうことが、昔から苦手だった。
好きなこと、好きな人、今読んでいる本、聞いている音楽。
「わたし、これが好きなんだ」というときに、いろんなものが邪魔をしてくるからだ。
それは客観的にみたら、とんでもなくしょーもないようなことなんだと思うが、多感な頃の自分にとって「好きなものを好きと言えないこと」は由々しき問題だった。
いちばん頭を占めていたのは、自分が好きなものを知られたら、人にどう思われるだろう、だった。
昔から友達とあそぶよりも本を読んだり、絵を描いたりする方が好きだったわたしは、陰と陽でいうなら完全にインキャだったし、今でこそ推し活とかが普通になったけど、オタク文化が浸透していなかったころは、アニメが好きとか芸能人のファンだとかは「気持ちの悪いやつ」以外の何者でもなかった。
クラスの中心にいて彼氏ができたとかプリクラ撮りにいこー!とか言ってきゃぴきゃぴしている陽キャスクールカースト上位の人だけが、楽しい青春時代を送っているように見えて羨ましいなーとか思っていた。
オタクに庶民権がないと思っていたわたしは、自分の好きなものを隠す癖がついていて、流行っているものとか、みんなが好きでなおかつ自分も好きなものくらいは、やっと好きって言える程度だった。ずいぶんと肩身が狭い青春を送ってきたものである。
今では会社の20代の女の子が、デスク周りをちいかわのグッズで埋めていても、推しキャラのクッションをだっこして昼休憩で昼寝をしていても、誰も何とも思わないし、「チケット当たったぁー!来月推しの舞台があるんで、仕事がんばれます!」とキラキラ言っている年下の男性社員にも、「充実してていいねえ」とほほえましくしか思わない。
今の子は、自分の好きなものについて、めっちゃ素直に語るんだな、と思ったことがある。
本来、人の好きなものに優劣もいい悪いもクソもないのに、時代の変化とはいえ、なんで「世間一般的なこうであるべき」みたいなものに、わたしは勝手に劣等感を抱いてあんなにも苦しんだのだろう。
「好きなのに好きってちゃんといえない」が体に染み付いて、さらにこじらせていくと、「好きなことが知られたら負けだ」みたいなよくわからないマウントが恋愛にも影響してきて困ったこともある。
だから「優位でいるためには好きでいることはバレてはならないから好きじゃないふりをして好きにさせる」みたいなへんなこじらせ独自理論が出来上がったりするのだ。テクニックがどうだとか、そんな話はおいておいて。
結局わたしはいつの場面でも、肝心なところでぜんぜん好きって言っていないような気がする。
ここまでこんがらがってくるともう対処のしようがないので、つべこべ言わずに実践していることがある。
じつに簡単かつシンプルなことなので、はっきり言おう。
好きならちゃんと、好きって言え。
別に言ったところで、幸せになる以外なにも起きないから。
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