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大好きの思い出

高校のとき、先生に恋をしていた。

恋、という表現が正しかったのかはわからない。だってわたしは、先生のことなんてほとんど何も知らなかった。知っていたのはせいぜい、先生が学校にきて、わたし達に授業しているただその一瞬だけだもの。もしかするとあの気持ちは、今で言うところの『推し』に近いものだったのかもしれない。

それでもたしかにあの頃、わたしは先生が大好きだったのだ。

授業の前にはまるで新品かと見紛うほど、黒板を綺麗にして待った。黒板を消すのは日直の仕事だったけれど、先生がくる前だけはわたしが率先してやるからと、クラスのみんなに喜ばれたものだった。授業は一切の聞き漏らしもなく、目を皿のようにしてその姿を追った。復習も欠かさなかったから、先生の授業で教わったことなら何でも答えられるほどだった。

だからその年度の終わり、終業式で「退任される先生たち」の列の中に彼を見つけたときは、心臓が止まるかと思った。何かの冗談であってほしい、と。

結局、冗談なんかであるはずもなく。先生はあっけなく行ってしまった。仙台を発つ日には駅まで見送りにいって、手紙を渡して、それっきり。退任を知ったときのように涙は出なかったけれど、「ああ、これでもう一生会えないんだな」という実感は、ただただわたしを寂しくさせた。

……という、淡く儚くひたすらに甘酸っぱい思い出として、記憶に深く刻まれていた。

そんな人に、まさか20年を経て再会することになろうとは。あの頃のわたしも、友達も、きっと先生も、誰も想像していなかっただろうな。本当にね、人生って何が起こるかわからなくて、だから楽しかったり憎らしかったりするんだろうなって。

20年ぶりに会った先生は、そりゃ年を取ってたけど、けど予想より全然変わってなかった。喋り方や表情はあの頃のまま、高校生だったわたしが、いつも目で追っていたときのまま。ひどく懐かしくて、自分が必死に恋していたときの感情が蘇ってきて、なんだかそれだけで胸がいっぱいになってしまった。

わたしが、未成年の生徒から大人の元生徒に変わったことで、距離が近くなったように感じたのも嬉しかった。あの頃はどれだけそばに行きたくても、先生の隣には並べなかった。それが今は、ちょっと寄れば触れられるくらいに近くで、並んで座ってお酒を飲んでいるんだから。こんなに不思議なことってあるだろうか、と。

気づけば、あの頃の先生の年齢をとっくに飛び越えている。それだけの年月が経って、また会って喋って。やっぱり会うと、まるでタイムスリップしたかのように、一気に小娘の頃のような気持ちに戻ってしまうね。

大好きの思い出が、20年ぶりに更新されました。とっくにアプデ対応終了したと思ってたのに、なんだかラッキーだったよ。

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