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逃亡
健康とは、変化に耐える力、熱が出てもそれに耐え、またそこから戻って来る力のことである。
今の職場に就職したとき、先輩が病院内を案内してくれたときの言葉が忘れられない。
そのフロアは片側が産婦人科、もう片側が内科系の一般病棟と血液内科だった。
「Here, people are born here. And the other side, people are dying there. It's our whole life. Haha!」
ニコニコしている先輩を見ながら、あぁこの人は無意識に哲学的なことを言うんだなぁとぼんやり思った。
先日クレール・マランを読んでいたら、これにぴったりハマる一説があった。
医療は欠かすことのできない仲介者 (intermédiaire) と見なされており、その医療についてのある種のイメージに私たちはますます強く依存するようになっている。こうした考え方は、私たちを人為的に傷つきやすいものにしており、私たちを、医療がなければ生まれることも、生きることも、死ぬこともできない存在として描き出している。産声を上げてから最期の息を引き取るまで、すべてが医療化された人生。それが今や私たちの生き方なのである。
彼女はこの章で、" 現代人は無理矢理にも「老い」を治療しようとしている、これは正常か "という問いかけをしている。
老いを止めることは、もちろん医者の仕事ではない。そんなこと不可能だからだ。我々は仕方なくその症状ひとつひとつに我々は名前をつける。
これは、生きて、死んでいく存在である私たちの傷つきやすさに対する拒絶である。老いて衰えるという考えを受け入れることができない私たちの無力さは、医学的語 僕の内に飲み込まれていく。
無力だ。
わたしは年を取りたくない。老いは恐ろしい。太りたくないし、老いた姿を人に見られる前に死にたいと本気で思う。認知症になったなら、真っ先に自殺を選ぶ。
冒頭で引用したカンギレムに言わせれば、わたしは変化に耐え抜く力も、どこかから元の場所に戻ろうとする力も、持ち合わせていないであろう。逃げて、逃げて、逃げまくる人生。ダサいにも程がある。
【余談】
サルトルの「嘔吐」がめちゃくちゃ読みたいのに海外発送対応の商品が見つからない。
龍が如くやりすぎて日本語喋ったら関西弁出そう。(真島吾朗)
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