声
これを書いても良いのか分からないけど、小さい頃、寝るときはいつも足元に穴があった。それは、布団に入ると現れる。感覚では直径30センチくらい。その中は真っ暗。怖さはない。直視すると見えないが、それはたしかにそこに在った。
その頃、わたしはなにより死ぬのが怖かった。少しでも病気になればもう死ぬんだと思い訴えた。大人は呆れ、周りに人がいても、わたしはいつも独りぼっちだった。死にたくなくて、だけどそれが、生きていたいことを意味するのかは、分からないまま時が過ぎ、穴はいつの間にか現れなくなった。
中学生になった頃、澁澤龍彦の「快楽主義哲学」を読んだ。" 人はみな快楽を求める、それはみな死にたがっているからだ" 、という彼の哲学を知り世界がひっくり返ったのを覚えている。それからキューブラー・ロスの書籍を読み漁り、エイドリアン.オーウェンの「生存する意識」を読んで、わたしのなかで、何かが変わった。
ああ、わたし、死にたいんだ、きっと。
わたしだけじゃない、みんなは気づいてないだけだ。
そしていつしか、生に怯えるようになっていた。死ぬことがどこまでも魅力的にみえて、出産という行為が何よりの恐怖になった。おぞましい生の誕生。
この頃は、穴があったら今なら入るのに、とよく思っていた。
それからまた何年もして、学校を辞めたり風俗で働いたり自殺未遂を3回ほど試みたり離婚したり海外移住したりして、わたしはのびのび生きている。なにかの象徴だったリストカットの傷はいまでは恥ずかしいと思う。
だけどもいま、なんとなく分かることがある。わたしたちが死によって失うものは、この体、たったこれだけなのだと。
【余談】
穴の話、以前もどこかに書いた気がする。
薬の量変えてからパワーは増したが中途覚醒するようになった。朝は起きれるけど昼過ぎ眠い。遅刻欠席しないことが最優先かどうか問題。社会の型に合わせて、わたしは自分で自分の形を無理やり変えている。
森山直太朗の「声」が良い。
適当に元気です。
最近は息抜きの駄文日記。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?