アイドルへの恋は修羅の道
しつこいようだが私は世間一般でいうところの『オタク』である。専攻は二次元。某アイドルコンテンツのオタクである。
当然、声優にも少なからず関心があるわけだが、あくまでキャラクターとは違うので、好感度は完全に切り分けて考えている。
そんな30代に片足を突っ込んでいる私だが、とある声優を好きになった。そのコンテンツに登場するキャラクターの声優、言わば声優アイドルである。実在するリアルな女性のアイドルに対してこの類の好意を持つことは初めてだった。
今まで「好きであること」について何度か言及したことがあるが、二次元キャラと実在する人間とでは本質は同じでも、性質が全く異なることに最近気がついたので、今回再び筆を取った所存である。
自分の感情を分析することは楽しい。
私にとって『思考』は最も手軽で奥が深い娯楽である。
恋?
ちなみに、「ガチ恋勢」などという痛々しいものではない。
いくら実在するとはいえ、決して触れられないという点は二次元と変わらないし、無闇に触れたいとも思わない。
しかしながら、「実体が存在する」という点は否応なしに心を弄ぶ。欲望というものは無意識下で増大する。
先程「ガチ恋勢」であることは否定したものの、経験が少ない感情なため完全に払拭することもできない実情なのだ。
女性への好意
ここで、非モテオタクの私だが、リアルの女性に好意を抱いたのは初めてではない。そのため間違っても「初恋に舞い上がっているだけ」などと勘違いしてはいけない。(とはいえリアルアイドルを好きになるのは自分でも予想外で『分析のしがい』という観点では舞い上がっていないこともない)
というわけで、私が好意を持った女性について簡単に説明しよう。
正直、読者は興味はないだろうし私も恥ずかしい。誰も得しないがこの記事のためには仕方がない。
中学時代
私が最初に女性に好意を抱いたのは中学生の時である。彼女とは2度同じクラスになったし、事務的ではない会話も何度もしたことがある。
ちなみに、イジメとは無縁で実に平和な学生時代だった。
彼女は非常に人当たりの良い人だった。見た限りでは話しかけられない人はいなかったと思う。私も漏れず声をかけられたことがある。卒業前の文集で小さなマスに字を書いていた時に「かわいい字してるなー!」と言われたことは今でもはっきり覚えている。あれはたしか教室の最前列の窓際から2番目の席だった。
そして、彼女は絵がとても上手だった。他にも絵が描ける人はいたが、彼女が一番上手かったのは言うまでもない(私の好みかもしれないが)。
絵を描ける人の凄さを本格的に意識したのは彼女によるものだろう。乾燥肌が酷いのか、冬場に荒れて赤くガサガサになってしまう手が心配で愛おしかった。私もそこそこ肌が荒れる方だがその比ではない。
最後に、彼女はすごく眩しく笑う。よく喋り、よく笑う。元気で、笑顔で、クラスで彼女の声が聞こえてくるだけで平穏を感じた。
そんな彼女がおそらく好きだったのだが、当時はゲームをすることしか頭になかったので特に何事もなく卒業して会うことはなくなった。
今でこそ「好きだった」と言えるが、アイドルに抱くものとは違うのもたしかである。
彼女への好意はきっと「憧れ」だったのだ。私にないもの、私が理想と思うものを殆ど持っていた。これまで出会った同級生で最も素晴らしかった人と聞かれれば、真っ先に彼女の笑顔が浮かぶ。
私は少しくらい彼女に近づけただろうか。
今どうしているのか、彼女に会いたい。
高校時代
出会ったのは小学校中学年の頃である。
きっかけは知らないが学校の初めての友人が連れて来たのが彼女だった。時々遊んだりし、小学卒業後中学校は別だったが、偶然同じ高校に進学したことで再開したのである。
高校では男女が話す光景はめったになく、彼女ともクラスが遠いこともあり、話すことはあまりなかった。
私と交友関係がある時点でけっこうなコミュ力があるのだろう。いつの間にか彼氏を作っていたし、彼氏のことでたまに相談に乗ったりした。結局長続きはしなかったようだが――。
きっと私は、なんだかんだ構ってくれる彼女が気になっていたのだろう。好意を伝えたこともあったが、明確にフラれたなども特に付き合ったりもなく高校卒業を迎えた。
成人して私がアパートで一人暮らしを始めた後、一度だけ会った。
彼女には結婚を考える男性が既にいた。しばらくして結婚が決まり、身内で結婚式を行うらしくその後の2次会?のようなものに招待されたが、その頃の私は経済的、精神的、立場的にとても行ける状態ではなかった。(当時の状況については他の記事を参照)
どうやって断ろうかと考えている内に当日を迎え、結果的には誘いを無視する形となってしまった。
その時のLINEは今でも残っている。彼女から連絡は途絶えた。もう彼女には顔向けできない。
彼女に対しては恋愛的な感情ではなく、親しい友人としての好意だったに違いない。私は男女の関係よりも友人のような関係の方が気が楽なのだろう。
結婚式からもうすぐ4年が経つ。
もう子どももいることだろう。
もしかしたら私が彼女と結婚する未来もあったのだろうか。
……それはないか。
正社員時代
職業訓練校を修了して正社員で入社した会社の事務の女性だった。
正直、彼女に関してはあまり語ることがない。
彼女は他の社員にも意気揚々と話しかけるため、私に話かけてくれるのも不思議なことではなかった。とはいえ、彼女のコロコロとした笑顔はなんというか、すごく、可愛らしかった。
就業時間中だというのに、会社の実験室で二人きりで話したこともある。縁側に憧れているだとか、割烹着が似合いそうだとか、他愛のない話は"楽しい"というよりは"癒される"時間だった。心地よいドキドキだった。
もし万が一、マイホームを買う機会があった時は縁側付きにしようと心に決めたものだ。そういうわけで、自然と目で追ってしまうようになるのも無理はなかった。
会社は辞めたがアルバイトで向かった際には、会えば色々話しかけてくれたし、彼女と話すと心が穏やかになるのがわかった。
しかし、私にはやりたいことがあるため女性と交際する時間はないし、そもそも派遣で貯金も殆どない男にそんな資格はない。
では、もしできない理由が無かったとしたら、私は彼女にアプローチをしただろうか。"そうなってみないとわからない"というのが正直なところだが、現状の私としては、会社で出会った彼女と結婚したらずっと会社の鎖に繋がれっぱなしな気がして、やはり無理だったかもしれない。
私は"どこかに属すること"が嫌いな性分なのだろう。実に度し難い。
二次元オタクの理由
もう少しだけ横道にそれよう。
冒頭でも述べたが私は二次元オタクである。
一応、私がどのような精神のもと二次元を嗜んでいるかを語ろう。
私の持論としては、二次元は触れられないから良いのである。
実在しないから汚されることも老いることもない。(作中で時間が何年、何十年と進む場合もある)
さらに、物理的に誰かのものになることもない。(著作権の話ではない)
ずっと"あのころ"のまま美しく在り続け、全ての者に平等に愛することを許してくれる存在なのだ。
もし変わったとしたら、それは自分の心が変わっただけなのである。
また、身も蓋もないことを言えば人見知りで人間不信でコミュ障でブサイクなので、内面まで描かれる二次元の"良い子"に惹かれてしまうのは必然なのである。
そんなこんなでリアルの女性に、ましてや雲の上の存在のアイドルを好きになるわけがないと思っていたわけだ。
アイドルへの好意
長くなったが本題へ戻ろう。
私には、この道の先に何も見えない。
ゴールなどないし、追うほど影が濃くなるだけだ。
特定のアイドルを推すという行為は、その"過程"で満足できる価値を見出せなければ最後に待つのは"虚無"である。執心すればするほど欲望は大きくなり、供給がなくなった時の喪失と絶望は大きくなる。
異性であれば猶更だ。
例えば、アイドルであっても社会で生きる人間としては当然結婚する可能性もある。その時、推しを心から祝福できるだろうか。私には、…………自信がない。
「本当のファンなら祝福してあげるべき」というのは、残念ながらそれができる人間の驕り高ぶった理想論である。私だって純粋に祝えるならそうしたい。しかし感情を完璧にコントロールはできないのだ。「おめでとう」よりも、「寂しい」「虚しい」と言う心の声の方が圧倒的に大きくなりそうなのである。
では、その「本当のファン」とやらがどういう人間かというと、早い話が精神が充実している人間だ。つまり依存はしていない状態。普段の生活で精神的に充足しているから依存する必要がないのだ。それにより、一歩引いた所からでも充分に楽しめるし、純粋に応援できる。エンターテイメントとして割り切る余裕があるのだ。
ただ、健全な「本当のファン」よりも、悲しみに明け暮れるファンの方が入れ込み度としては(病的とも言えるが)上なのは否定のしようがないだろう。
私は「本当のファン」ではないからこそ、推す先に光がないことを知っている。私はその声優アイドルに担当キャラの存続以上のことは何も望まない。だが、好きになってしまった。
ラジオの冠番組が始まった時は毎週欠かさず聞いたし、2年も経たずに終了した時は心が締め付けられる思いだった。
アーティストデビューした時は、CDも買ったしライブも必ず応募している。1stライブにも行けた。
これからの活躍が本当に楽しみなのだ。
応援はしたい。しかし同時に後ろめたい。自分に対してだ。
ラジオ番組を通して、おそらく彼女は年下だろうが同じくらいだと思わる。何年も前に彼女は声優になり、こうして立派に多くのファンから愛されている。活躍の場も増え、今後にさらに期待したくなる、追っていたくなる、彼女が成長していく姿が見たい、ずっと見ていたい……だが最後には――。
彼女を見ていると心が躍る自分がいる。
ふとした瞬間、冷静になると惨めになる自分がいる。
ストーカーになってしまう人間の心理も少しわかる気がした。
べつに私は推しと付き合いたいとは思っていない。
正確には、私自身がどうしたいのかがまだわかっていない。
私は好きな対象へのメンタルディスタンスを「距離感」と表現している。
その「距離感」を測りかねているのだ。
争点
問題は、私のような底辺では到底釣り合わないことである。
彼女は美人でありながら非常に可愛らしい笑顔と仕草を見せる。そのうち男性と付き合うこともあるのだろうか。だとしたら、さぞかしイケメンで高い地位の男性だろう。
日々成長していく彼女がまぶしい。彼女に釣り合わない自分が悲しい。
しかし仮に釣り合うスペックが私にあったとしても、イベント以外でお近づきになれる確率はどれほどのものだろう。"アイドルとファン"という構図が覆ることは天地が引っ繰り返ってもありえないのだ。
まさに雲の上の人。せめて「付き合いたい」などの明確な願望があれば良かったのだがそれはない、ではこの虚しさは何故なのか。単純にみっともない自分を意識させられてつらいだけなのか。
タイプ分け
ずいぶん前に、愛情のタイプ分けという小っ恥ずかしい記事を書いたことを思い出した。
記事を読んで考えてみたが、他者から認められることに魅力を感じないので、承認型以外だろうと推測はできるが特定には至らなかった。
他にわかったことは、タイプ分けをするにはある程度「対象を愛すること」が必要であることだ。発散される条件がわからないと特定は難しい。
つまり、暗雲の正体を掴むには、暗雲の中を進むしかないようだ。
おわりに
現状ではこれ以上の進展は望めないため、一旦ここまでにする。
私はこれからも、心を刻みながら微かな癒しを求めて彼女を追うことだろう。いつかこの不条理な感情に結論が出ることを信じて――。
ここまで読んだもの好きなあなたは疑問に思うだろう。
「何故、つらいのにそんなことをするのか?」と。
答えは明白だ。
仕方ないだろう、好きになってしまったのだから。
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