自分を強く魅せようとしていた頃の話
今回は昔アイデンティティが崩壊して、回復するまでの道のりを辿ったお話を。
20代前半の頃、人間関係も体調も何もかも上手くいかなくなってしまって、アイデンティティが崩壊した。
今までこころの拠り所だったはずのものが全て自分の手の中から消えていってしまう感覚で、当時は結構しんどかったっけ。
そんな時、わたしは自信を回復させるためにギター演奏だったり、ハンドメイドだったり、絵を描いてみたり、様々なことに挑戦してみた。
そのおかげで今は色んなことができるようになって、たくさん勉強もさせてもらったのだけれど、当時はそのスキルを自分を強く魅せるための手段として持っているという感覚だった。
自信を失った私は、失ったモノや人に、ずっと認めてもらいたくて「その出来事を取り戻す」or「その出来事以上の何か」をずっと求めていた。
それが挑戦への火種となり、何かに挑戦して、新しいことがまた1つできるようになったらSNSに公開して承認欲求の確保。
「ありのまま」の自分を認め方が分からなくて、自分の得意なことをアピールしていかないと誰も自分のことを見てくれないと本気で思っていたのだ。
楽しい!と思って始めたことも、次第に雑念が混じっていき純粋に楽しむ道から逸れていってる?と感じる時もあった。
当時やっていたハンドメイドのSNSのフォロワーの数も、すごく意識するように。
いつの間にか「フォロワーの数=自分の価値」と思い込みかけそうになったり。
だけど次第に"なんかおかしいぞ"と自分の心にひっかかりを感じていく。
そこから数年にかけて人の直接的な関わりやあたたかさに触れていったり、受け取る練習をしていって、少しずつ「強く魅せる必要なんてなかった」「私は私でいることに価値があった」と思えるようになっていった。
自分のことを認められるようになっていくと、承認欲求は減っていったし、発信は「伝える」をベースに書いていくことが多くなった。
よく、Nちゃんさんは器用ですね。
なんでもできるんですね!
と言ってもらえることが多いのだけれど、そう思ってくれてありがとうと思える反面、胸がチクリと痛くなっていたことも少しあったんです(笑)
だって、ずっと自分を強く魅せるための武器にしてたから。
だけど、ありのままの自分を受け止められるようになっていくと、そんな当時の自分すら、「傷を全力で埋めたくて必死だった」と受け止められるようになっていきました。
今は「武器」だと思わず「〇〇が得意な自分」という個性の1つだと思っています。
得意なことは、自慢するためや強く魅せるために使うのではなく、人に楽しんでもらうために生かしていく。
そんなことを思いながら、日々YouTubeで音楽の発信をしてみたり、最近ではnoteにお菓子作りのお話を書いています♪
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