見出し画像

透明な他人に反論するためにNetflixを倍速で観るし、すぐに推しをメルカリへ売る令和のオタク

誰にも見せることがない頭の記憶に、無駄に思い出と煌びやかにデコレーションをした作業を蓄積したところで何が生まれるのだろうと思うと、重い腰がさらに重くなる。余計に鬱々しい気分がつのりつのって、「今年の積雪は記録的になりました!」と天気予報士がアナウンスしている情景と似ているなあ、と頭に浮かんだ。

「鬱々しい気分がつのって今年は記録的です!例年と比べて、多く鬱々しい気分が記録されました!」だなんて、勝手に降る雪に対して人間が抵抗できないのと同じだ。穏やかに人間生活を営む上では、鬱々しさが出現することは仕方ないけど、いい加減雪が降りすぎるとちょっとうざったいなという気分と同じく、鬱々しい気分も増えすぎると嫌になる。

-

インスタグラムに載せるわけでもない、ユーチューブにvlogとして載せるわけでもない。これは時代に犯されている結果なのだけど、何かに直結しないとやっても意味がないと考えてしまうのは、本当に時代の弊害だよなと思いながらも、倍速でNetflixを観ることがやめられない。ダイエット宣言をしたにも関わらず、これはご褒美だからとハーゲンダッツのアイスクリームを手にとる現象に名がつくのであれば、同じ範疇に入る現象だ。

誰に追求されるわけでもないが、一つのコンテンツをより深く愛していることより、たくさんの情報を漏れ無く知っていることの方が評価される気がする令和時代。自分は流行には遅れていませんよ、きちんとキャッチアップして世の中の渦に入っていますよ、自己の中に組み込んでいますよと、透明な他人にアピールするために倍速視聴を行う。

推している対象が新しいグッズを発売すれば、自分の愛を表現するために即購入。グッズ厨と揶揄される。推しへの愛をカタチとして唯一具現化できるのが、貨幣という対価で得られる幻想の愛。

分断されている推す者/される者は、人間が神に近づくことができない原理と似ている。まさしく「神がかっている」と推しに放つ言葉がピッタリだ。

グッズやイベントという名を借りた貨幣のやり取りを通してでしか、推しに近づくことが出来ない。惜しみなく、素早く、推しのグッズを購入してSNSにアップロードし、メルカリへ流れ着く。オタクグッズを手放すまでの流れ。

所持をすることだけに目的が行き、保有するメリット/デメリットや長期保有なんて考えない。推しを通じて出来上がった共同体で「私ちゃんと乗り遅れていませんからね」と輝くことができれば、推しへのアガペーのような愛が大切なのか、推しを通してできあがった共同体へのアピールが大切なのか、果たして己が何を欲望していたのか、ラインがわからなくなる。

ベルトコンベアに流された製品を、「とりあず欠品はないか」と確認する作業を行い、コンベアーに戻して流す行為のようだ。なぜ手に取ったのか考えることもなく、作品に触れたという事実だけが手元に残り、事実さえ獲得できれば、すぐに手から離れて行く。

つのりつのった事実だけが蓄積した結果、私たちは何者にもなれないし、私たちが繋がりだと感じていた共同体は幻想だったと気がつく。いくら積雪が記録的であろうが、雪が溶けて春が来る。推しや好きで繋がった共同体もやがて溶け去って、別の共同体へ変容していく。ついでに、欲望が暴走し、推しへ課金して後悔した鬱々しい気分も一緒に溶け去ってくれよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?