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ありがとう⑭母と私

2020年9月8日。
10時過ぎだっただろうか。病院から着信があった。
朝方から母の様子に変化があって、採血結果が悪くDICを起こしていると言う内容だった。

DIC(播種性血管内凝固症候群)。
全身の血管内に無数の血栓が生じ、臓器障害を起こす病態を指し、血栓ができる過程で無秩序になった血液は容易に出血しやすくなる。
血栓と出血が同時に起こるため治療が極めて難しく、予後が悪い。

これまでDICは『がんの最終ステージだ』と、良く聞いていた。
他人事だったそれが、いま母の身に起きている。

急ぎの仕事だけすませて出掛ける支度をする。
慌てている私を横目に、ルルが機嫌良さそうに毛づくろいを始めた。
何となく、ルルのその様子を動画を撮った。

工事中だったお墓も、この頃には文字を掘るだけになっていた。
名前の脇に花の柄を入れてもらうことにしていて、その模様を母と決めようと思っていた。
何となく、工務店から借りていた柄のファイルをバッグに押し込んだ。

15時過ぎに病院に着いた。
病室に上がると、母が丸まって携帯を抱えるように横になっていた。

「気分どうね?」
「だるーい」
「今日はお風呂入った?」
「入ってない」
「体拭く?」
「いい。家に帰ったらお風呂たくさん入るわ」
いつもの母の声ではなく、細く小さな声でやっと話してくれる。
そんな母を見ていると、我慢できず泣いてしまった。
「ねぇ、元気で居てよ。さみしいよ」
母はじっと私の顔を見ていた。マスクをしているので母の表情は解らない。

「ルルの動画見る?さっき撮ってきたのあるよ」母の視線に合わせて携帯を見せると
「かわいいね~」と言って笑ったような反応があった。

「もうすぐお墓もできるから。一緒に行くんやろ?」
「うん」
「お花の柄、どれにしようか?」ファイルを広げていくつか眺めて、
「これがいいな」と、母は菖蒲の花を選んだ。

膵臓癌が見つかってこれまで、母と何度も繰り返していた合言葉がある。
抗がん剤治療で体がきついとき。
痛みが強まって舌下錠に頼る日が増えたとき。
不自由だけど、一日楽しく過ごせたとき。
『上出来やね』と。

今日も言おう。いつも通り笑って言おう。
「大丈夫。上出来やね」
母も薄く笑って頷いた。

担当医の説明があると別室に呼ばれた。
「すぐ戻ってくるから」
母が小さく返事をしたのを見届けて病室を出る。

担当医から告げられた言葉は、最後通告のようだった。
DICの重篤化が進んでいること。
退院はもうできないこと。
母の体の中では、かなり激しいことが起きていて回復は望めないこと。

「何かしてあげたいことはある?」担当医に聞かれた。
「家に連れて帰りたい」この期に及んで我儘を言う私。
「明日、朝一で点滴を1本打って外出しよう。調子が良かったらそのまま外泊してもいい。具合が悪くなったらすぐ戻ってくればいい。家に帰してあげようね。ずっと帰りたがってたもんね」
そう言うと、傍にいた看護師さんに外出するのに必要な物品など指示をしてくれた。
誰もが、母を自宅に帰そうと一生懸命動いてくれた。本当に有難かった。

これまで、いつも二択を迫られてきた。
理不尽だと思っても、必ず、どちらかを選んで受け入れてきた。
選べるだけ贅沢だった。今あるのは一択。母を看取る覚悟が私にあるのか。
諦めたくない思いと、受け入れなくてはならない現実との葛藤で、号泣するしかなかった。

そこに、母の容体が急変したと看護師さんが慌てて告げに来た。

急いで母のもとへ行く。すでに個室に移されていた。
腕には濃ゆい内出血の跡ができていた。目を固く閉じて呼吸が荒い。
私が担当医と話をしている最中、急に苦しがって点滴の針も自分で抜いたようだ。
せん妄だろう。

「苦しいね。ごめんね、一人だったもんね」
そう言って母の手を握り、背中をさすると
「うん」と、声にならない返事があった。
「ずっと居るからね。何も心配しなくていいよ」
「うん」
「聞こえてる?」母の耳元で問う。
「うん」
「ありがとうね」
「うん。ありがとう」大きな声だった。
はっきりと聞こえる大きくてしっかりした声で、母がそう言ってくれた。

心肺蘇生などの処置をするか、意思確認をされる。
母は何もしたくないと言っていたので、その旨伝える。
認めたくないが、その時が近付いているのだと嫌でも思い知る。
容体が厳しいと覚悟して、夫に電話をかけた。

私が居ることを確認するように母が薄く目を開けて
「お茶飲もうかな」と言うので、飲みかけの冷たくも、温かくもないお茶を母に与える。
本当は冷たいものを飲ませてあげたかった。
数口飲んで、また呼吸苦が強まる。見ているのもつらかった。
身の置きどころがないほど苦しいのだろう。
足にかけたバスタオルさえも、どけて欲しいと足を動かす。
次々に起こる、心が千切れてしまう出来事に打ちのめされる。

呼吸苦を楽にするため、セレネース(鎮静剤)を投与することになった。
母のためにできる事と言えば、母に触れて傍にいることを知らせ、微かな安心を差し出すくらいしか私には術がない。
到着した夫と義母も、母の傍に居てくれる。
「みんな居るから今日はさみしくないね」
声をかけるが、母の体は鎮静剤にも耐えられずに反応がなくなった。
程なく、母の血圧が下がりだす。

ずっと夢でも見ているような感覚だった。
いつかは見送る時がくるとわかっていたけれど、今日だなんて思いもしない。
3日後には退院して自宅に帰る予定だったのだ。
私は母に何ができただろうか。叶えてあげられなかった母の願いが浮かんでは消える。
いつの間にか俯いていたことに気づいて、母の方に視線を向けると、焦点のあっていない目で私を見ていた。
まるで、最期のお別れを言っているような様子だった。
「ここに居るよ」目元をさする。
呼吸苦はすっかりなくなり、母はゆっくりゆっくり眠るように息を引き取った。

私はずっと夢の続きのような感覚で、その瞬間は涙は出なかった。
私の代わりに、義母と病棟師長が大泣きしてくれた。

担当医が母の胃の辺りを触って
「憎たらしいよね。ここ全部肝臓の腫瘍なんよね。よく頑張ったね。立派だったね」と。

本当に最期まで母親だった。私に迷惑かけないように、さっさと逝ったように思えてならない。
迷惑だなんて思ってないから、もっといろいろ甘えて、私をてんてこ舞いさせても良かったんだ。

母がやっと自宅に帰れる。一緒に帰ろう。


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