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大丈夫⑧母と私

7月に入ると徐々に腫瘍の痛みを訴えるようになり、フェントステープ(麻薬性鎮痛剤)を始めようと担当医と相談して、使用量を調整するため7月7日に入院することになった。
ちょうど七夕の日に入院だったので、夕食に「七夕ゼリー」が付いていた。
「なに味?」と聞くと
「うすーーーいソーダ味」と答えて周りにいた看護師さんを笑わせていた。

フェントステープは24時間に一度貼り替えをする。
連続して同じ所に貼らなければ体のどこに貼ってもいい。
テープには日にちと時間を書く。
私が仕事に出かける前、朝の9時に貼り替えができるように時間と使用量の調整をすることになり、神経難病で文字が書けない母は看護師さんと一緒に貼り替えをしていた。退院後この役割は私がすることになる。
母はフェントステープのことを「シール」と呼んでいた。

膵臓癌が見つかって二度目の入院になるが、母にも私にもこの入院が唯一、和やかなものだった。
2週間程の入院だとわかっていたし、テープを貼れば母の痛みも和らいでくれたし、面会も時間制限はあったけれど毎日顔が見れたし、母からのショートメールも頻繁に届いていた。
パジャマもたくさん買った。母が好みそうなパジャマを選んでいる時は私も嬉しかった。

腹部全体が痛み出したという事は、確実に癌は母の体を蝕んでいる。
もっと強く痛み出したらどうしてあげたらいいだろうか。
今でこそ、吐き気もなく食欲もあるが食べ物の通過障害が出だしたらそうはいかない。
吐き気と嘔吐で食べたいのに食べられない時期がきたらどうしようか。
退院して母が動ける時間がどれくらい残っているだろうか。
考え始めると際限なく不安が襲ってくる。
この期に及んで、母が居なくなる想像が上手くできなかった。
そんなこと考えたくなくて無意識に遠ざけていたのだと思う。

帰り際、病室を出てエレベーターを待っていると担当医が声をかけてくれた。
「あらゆる手段を使って痛みは取るから安心してね。何かあったらいつでも言ってね」

別の日には、仲が良い病棟師長が声をかけてくれる。
「大丈夫、まだまだフェントステープの量は増やせるからね。心配なことがあればメールしてよ」
「退院して具合い悪くなったら、またすぐ連れてきたらいいよ」

私が不安に思っていたことを見透かされた気がした。
誰かに何かを大丈夫だと正してもらえることが、こんなにも嬉しくて有難いものだと知る。

疼痛コントロールが上手くできているかの確認も含めて、退院後は訪問看護を受けることになった。
母は少し不安そうな表情をしていたが、
「シール使ってるから、看護師さんが様子見に来てくれるだけだよ」と私が言うと
「そっか。シール始まったもんね」と母も納得した様子で笑う。

7月22日、退院。
帰り支度を終えた病室で持ち帰る薬を待っている間、母の写真を撮った。
嬉しそうにピースで写る母。
泣けてしまうほど、私の大好きな母の笑顔だ。

大丈夫。
母の笑顔はちゃんと守っている。