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うたた寝と浄化の雨⑱母と私

 通夜の時と同じ方に着付けていただく。
仕事や猫の話をしながら、手際よく着せてもらった。
その方が部屋を出る時に、
「どうか大事に持っててくださいね。思いの詰まったお着物ですから」
そう声をかけてくれた。

母と一緒に最後の食事をする。
ほとんど喉を通らず心配する夫を困らせた上に、ふたり分を食べてもらう。
母の傍から離れ難く、とにかくずっと時間ギリギリまで棺に張り付く。
今にも起きてきそうなその顔を、瞬きもせず目に焼き付ける。
母を失った悔しさを忘れないように。
母が居ない寂しさを忘れないように。
もう戻らない日々を忘れないように。
確かに母は在ったのだと、記憶の中心にその総てを留め置く。

葬儀は厳かに執り行われ、滞りなく事務的に進む。

祭壇の左側に薄桃色の覆いをかけられた骨壺が置いてある。
涙で視界が滲む。
あれに母を納めるのかと思うと、言い難い悔しさでまた涙があふれた。
どうにもならない現実を、母が居なくなった事実を、何度も何度も指摘され続ける数日間だった。
もう観念するしかない。

これまでの出来事が、紙芝居を見ているように次々に思い出される。
順風満帆ではなかったし、もちろん苦しいことも多かった。
乗り越えなければならない障害物の数が多かったから、子供の頃は周りの友人が羨ましいと思うこともあったけれど、必死に働いて私を育ててくれた母との暮らしは、どんな時も楽しかった。
少し頼りなくて難しいことが苦手な母だったが、いつも朗らかで泣き言など言わない辛抱強い人だった。
私が母を守っていくんだと、生意気にも子供の頃から思っていた。
もっともっと長生きしてくれても良かった。
上手く守れなかった後悔ばかりが募る。
与えてもらったものの半分も返せないうちに、母は手が届かない所にゆく。
けれど、母は病気でボロボロになった体でも最期まで諦めることなく、生きようとしてくれた。
私と一緒に居ようとしてくれた。そう思うと、もう充分だ。
母が懸命に生き抜いた見事な69年。立派だと思う。上出来だと思う。

喪主の挨拶を終え、棺を開けて最期の別れをする。

親族が花を手向けてくれていると、担当さんが寿司折を持ってきてくれた。
6月に夫と母と三人で出掛けた、あのお寿司屋さんの握りだ。
「義母さん、良かったね。時価のお寿司がきたよ!」夫がそれを棺に納めてくれた。
あの時、ふたりでコソコソ話をしていたのはやっぱり時価のことだったんだなと、あの日の光景を思い出していた。
戻れるものなら戻りたい。とても幸福な時間だった。
たくさんの花と、私が詰め込んだ母の気に入っていた物とお菓子、思い出の時価のお寿司と、形もなく目には見えないが私の思いも一緒に母は旅立つ。

棺の蓋が閉められた。

コロナ対策の兼ね合いで、火葬場には夫と私だけで向かう。
母を乗せた霊柩車には私が乗り込み、夫はその後方を着いてくる。
霊柩車のドアが閉められると、中はとても静かだった。
母の遺影を抱えて後部座席に座る。
棺の、ちょうど母の顔がある辺りを撫でて
「ここに居るよ。一緒に行こうね」と小さく呟いた。

海沿いの道を静かに進んで行く。
いつも母を乗せて病院に通うのに使っていた道だ。
「見える?海、きれいやね」抱いていた遺影を窓に向けてみる。
とても可愛く笑っている写真を遺影にしたので、それを見ると私も口元が綻ぶ。
そんな事をしていると、急に眠気がさしてきた。
ここ数日の、いや、この数か月のいろんな事が溶けていくような優しい眠気だった。子供の頃、母と一緒の布団で眠っていた時のような暖かさで、懐かしさが込み上げてくる。
最期の最期、母に甘えるように遺影を抱いて10分程だろうか、うたた寝をした。柔らかな優しい時間だった。

火葬場に着く。
大きな火葬場なのでいくつも炉があって職員さんも多いが、喪服を着た人もあちらこちらにいる。
儀式的なことが機械的に進んで行く。
「最期です。よろしいですか」と職員さん。
もう一度、顔を見ようかとも思ったがきりがないので辞めた。
充分、母は私の傍に居てくれた。
棺が炉に入る。分厚い扉が重々しく閉じられた。
夫と一緒に点火と書かれたスイッチを押すと足元から響くような、ごぉぉぉと言う音が聞こえ始めた。
何度も炉を振り返りながら通路まで歩く。
一旦外出して、お骨上げの時間に戻ろうと外に向かうと、いつの間にか大粒の激しい雨が降っていた。雨を巻き上げる強風も吹いている。
叩きつける雨音で、隣に居る夫の声も遠くに聞こえる。
辺りが白むほどの滝のような豪雨だ。
「義母さんやね」と夫が笑う。
「そうね」と私も力なく笑った。

今生でのつらかったことや悲しかったこと、痛みや苦しみを全部雨に流していくんだね。
これだけ降れば美しく浄化されて、きっと良い所に行けるね。
楽しかった思い出は、どうかそのままで。


お骨上げも夫とふたりで行う。
私がひとりだったら上手くできなかったと思うので、夫が居てくれて良かった。

覆いを被せ直した骨壺を抱いて火葬場を後にする。
もちろん雨は上がっていて、きれいな青空が広がる。

私でも軽々と抱えられるほどに小さくなった母を連れて自宅に戻った。
四十九日が終わるまでは、祭壇作ってお世話をするらしく、葬儀社の担当さんがいろいろと段取りして教えてくれた。
何でもいい。母のためにすることがあると嬉しい。

母が逝って、葬儀が終わるまでの5日間。
目まぐるしくいろんな事が起きて、とんでもなく悲しかったり悔しかったり、気持ちも忙しなかった。
もうどこを探しても、どこに迎えに行っても、母は居なくなった。
この気持ちが折り合う術を、ずっと考えあぐねている。簡単には答えは出ない。

祖父母のお墓参りをしやすくするために移設したお墓だが、母もそこで休むことになるので霊標の準備を進める。
母が選んだ菖蒲の花も、もうすぐ施工が終わりそうだ。
納骨に向けての支度が進んで行く。

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