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虹を渡る⑰母と私

2020年9月11日
朝から曇り空だ。
15時には葬祭場に向かう霊柩車が母を迎えに来る。

母に持たせたいものを何でも入れて良いと、A4より少し大きめのポーチを葬儀社の担当さんから貰っていた。
袋がいっぱいになるくらい、母が好きだったものを詰めてあげようと思う。

朝から人の出入りが多くて本当に慌ただしく、いろんな人の声がそこかしこでしている。そして通夜当日になっても尚、やることが多く残っている。
残っているにも関わらず、ひとつ用事を済ませたら母の傍に行き、またひとつ用事が終わると母の傍に戻る、を繰り返しているため、なかなか用事が完了しないでいる。

 14時半を回ると、霊柩車が到着した。
さっきまで降っていなかった雨がポツポツ落ちてきた。
「行きたくないもんね。家に居たいもんね」棺の中の母にそう声をかける。

傘がどうだとか、布がどうだとか、柔らかく降っている雨に備えるために担当さんたちが更に慌ただしい。

 ひとつ、不思議だと思うことがあった。
細く柔らかで霧のようにサァーッと降っていた雨が、棺を運び出して霊柩車に乗り切る5分程はピタリと止んだ。傘も布も、一切不要だった。
母が濡れずに済んで良かったと安堵した瞬間、突然激しく雨が降り出した。
母の見送りに近所の方々が家の前まで来てくれていたので夫が挨拶をするも、傘に落ちる雨音で声が掻き消えるほどの激しい降りようだ。
挨拶が終わり私たちも車に乗り込むと、今度はあっという間に雨が止んで青空が覗いていた。数分間の不思議な空模様だった。
皆にお別れをしたのだろう。どこまでも律儀な母らしい。
そんなことを思いながら葬祭場に向かう。

夫が助言してくれたおかげで、たくさんの花に囲まれた立派な祭壇が作ってあった。
その中央に顔元の扉が開かれた棺が置かれ、通夜の準備が進む。
受付に行くと、母の名前が大きく張り出してあった。
本当に母の葬儀なんだな、と言い難い感情が押し寄せてくる。
私の身に起きている非現実的なことに、心がずっと置いてけぼりなのだ。
そんな私の心情などお構いなしに、時間は刻々と過ぎてゆく。

喪服を着付けてくれた方が襟先部分の名前とお守り札を見つけて、
「こんなの初めて見ました。大事に思われていたんですね」と母のことを慮ってくれた。
何かを話すとみっともなく泣いてしまうから、頷くくらいしかできなかったけれど、その方もそれ以上何も言わないでいてくれた。

コロナ対策で通常通りの形式とはいかなかったけれど、たくさんの方が母のために参列くださった。
家族葬にしなくて良かった。
こんなに立派な旅立ちなら、きっと母も寂しくないだろう。

 夜中2時過ぎだっただろうか、ルルの世話もあったので私だけ一旦、自宅に戻ることにした。
運転しながら、また助手席を見てしまう。
「一緒に帰ろうね」独り言を言う。

誰も居ない家。
連日ほったらかしになっているルルは、空気を読んで察しているのかお利口にしている。
本当は少し眠るつもりだったけれど、ひとまずシンクに置きっぱなしの食器を洗う。田舎なのをいいことに深夜、家中の電気を灯し全ての窓を開けて掃除機を掛けた。黙々と家中を掃除する。

家のいたるところに母が在った形跡がこれでもかと残っている。
服とか靴とか、そういうわかりやすいものではなくて、例えば母が掃除機掛けをしていて付けた角の傷とか、母の癖で畳んだ私の洗濯物。
母の部屋にある封の空いたのど飴、病院に行く日にちに印を付けてあるカレンダー。形跡だけあって母の姿がない。
その現実をどうやって受け入れて行けばいいのだろう。
絡む思いに折り合う時が来るのだろうか。

 そして、もうひとつ不思議に思うことがあった。
母の部屋には祖父母の仏壇が置いてある。
小さな仏壇なので備え付けの棚の上にそれが置いてあって、棚の引き出しには線香やお盆の時に使う小物が入っている。
今日まで何度も開け閉めしていて、いま必要なものはそこに何もないと解っていたけれど、何となく引き出しを開けた。
小さな箱に迷わず視線がいく。これまで何度も目にしていた小箱だ。
開けてみると手紙が入っていた。
私の結婚式の折、母宛に書いた手紙だ。こんな所に仕舞っていたのか。
あぁ、これを持って行きたいんだなと思い至る。
「ポーチの中に入れとくね」また、独り言を言う。

棺に入れるそのポーチの中に、いろいろな物をこれでもかと詰める。
母が好きなお菓子にヤクルト。飲みたかっただろう冷たいお茶。
大好きなスイカに、いつも食べていたふりかけご飯のおにぎりも作った。
そしてさっき見つけた手紙。
中身が食べ物ばかりで、まるでピクニックにでも出掛けるようだ。
ポーチがパンパンになるまで詰め込む。
そんなことをしている瞬間は、母と私がこの家で過ごす最後の時間のように思えた。誰も居ない、ふたりでゆっくり過ごす最後の時間。


9月12日。すっかり夜が明けた。
帰宅してずっとガサゴソとせわしなくしていて、結局一睡もできなかった。
私の着付けの時間が迫っている。
少し寂しそうにしているルルに留守番を頼んで葬祭場に向かう。
気付かなかったが雨が降っていたようで、地面に水たまりができていた。

次に戻って来る時は、もう全部終わった後なんだな。
自宅から葬祭場まで車で20分程かかる。
何気なく視線を向けた先に虹が見えた。
車の進行方向に見える虹は、葬祭場の方角に鮮やかに掛かっている。
涙があふれた。
母がこれから渡る虹の橋だといい。
極楽浄土からのお迎えだといい。
あの綺麗な虹を渡って行くのなら、母はきっと良い所にゆけるだろう。

それは雨上がりの偶然の虹たっだかもしれないが、何か意味のあるものだと思いたい。
不思議だと思うことが続いた出来事も、何か意味があってもいい。
そのおかげで、ほんの少し心の痛みが和らいだのだから、特別な意味があったのだと思いたい。

いよいよ、母の葬儀が始まる。