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親を看取る⑲母と私

 好きな食べ物は何かと問われたら『母の作る玉子焼き』と、いつも迷わず答えている。
どんなご馳走も敵わない、子供の頃からの私の大好物だ。
何度真似て作ってみても不思議と母と同じ味付けにならず、巻き方も何か違う。
やはり母が作ってくれる玉子焼きが一番おいしい。
再び食べることができなくなった事実を、未だに信じられなくて困る。
いつか、母と同じ味付けで作れるようになれたらいいなと思う。
母の玉子焼きの美味しさは生涯忘れない。

葬儀の翌日。
母に関する手続きが、いろいろとまだ終わっていないことに気が付き、抜け殻のような私が役所へ手続きに向かう。
今日は陽気なほどに晴天で、見上げた空は一面の青だ。
眩しすぎる日差しのせいで、余計に淋しくなって心細さが増す。
運転をしながら、ふと思ったことがある。
私が生まれた時、出生届を出しに役所へ行ってくれた母は、どんなことを思っていたのだろうか。
晴れやかで賑やかな一日だっただろうか。
幸福であっただろうか。
その日からずいぶん経ち、私は今日、母の死後の手続きをする。
この世から母の存在が無くなったことを明らかにするために。
親を看取るとは、この手続きまで入れてそうなのだろう。

役所での手続きは市民課や福祉課などを回ってするのだが、あっけないほど事務的に終わった。
戸籍にも死亡したことが記される。これは完了するまでに1週間ほど時間がかかると言われた。
これで全ての手続きが終わった訳だが、私はちゃんと母を看取れたのだろうか。

母が在った証がひとつひとつ無くなっていくにつれて、出来なかったことや後悔ばかりが頭に浮かんでは消えていく。
無力感に苛まれ身動きが取れずにいる私とは正反対に、周りは何事もなかったように進んでいる。
人の生き死にも、結婚や離婚も、何かの病を診断するのも書類一枚を手続きするだけでコインの表裏のように決定される。
そこに心情は必要なく、機微な心の揺らぎなど何ひとつ考慮されないし、それを記す術すらもない。
本来、何より重要であるにも拘わらず、人の想いを具現化することは決して容易くない。
母にも伝え損ねた想いがいくつもある。


葬儀の後からルルが面白いことをするようになった。
母の部屋に設置してある祭壇の中央に陣取って動かないのだ。
もともと母の部屋が好きで、いつも我が物顔で過ごしていたが、どことなく神妙な顔つきで、行儀よく祭壇の前に座っている。
何かを話しているかのように母の遺影を見上げて座り、機嫌良さそうに尻尾を揺らす。
女子会でもしているのだろうか。長々とそこに居座る様子が微笑ましい。

9月半ばには、工事中だったお墓が完成した。
母が選んだ菖蒲の彫り物も、とてもきれいに施されている。
四十九日が来たら母はここで、祖父母と共に眠りにつく。
霊標には母の名前も刻んであった。
こうして第三者的に母の死をはっきりと明言されると、やっぱり母はもう居ないのだと念押しされているようでたまらなくなる。

葬儀が終わった後も、心をすりおろされるようなことばかりあるものだ。
泣くなと言う方が無理な話で、もうずっと心の目盛り以上の出来事が続き、あっという間に母を亡くして泣かない理由などある訳がない。
わんわん泣く。
家のあちらこちらで迷子になった子供のように、わんわん泣いた。

そして今度は台所で途方に暮れる。
母におにぎりを作ろうと思って買っていたふりかけ。
母と食べるつもりで用意していたお菓子。
母に淹れてあげようと思っていた甘酒。
まだまだある。
退院してきたらすぐに、黒みつをかけたかき氷を食べさせようと思っていた。
おやつに出そうとしていたプリンやコーヒーゼリー。
母のための物がそのまま残っている。
母も家に帰りたがっていたが、同じくらいに私も母の退院を待ちわびていたのだ。
もっと母が喜ぶ顔が見たかった。えへへと笑う顔が見たかった。
母を幸せな気持ちで包みたかった。
少しでも油断すれば、簡単に喪失感が色濃くなって孤独が押し寄せてくる日々を繰り返している。

2020年10月26日。母の四十九日。
住職に自宅へ来ていただき、四十九日法要と出来たばかりのお墓に開眼法要をお願いした。
石材店に預かってもらっていた祖父母の遺骨と、私が抱えてきた母の遺骨を一緒に納める。
みんな一緒の納骨だったので、きっとさみしくなかっただろう。

住職から、六道輪廻のこと、逝った先のこと、遺された者の過ごし方など、説法を解りやすくした有難いお話を拝聴する。
そのお話によると、亡くなった人に会いたいと願えば、近くに来て寄り添ってくれるのだそうだ。
遺された者が嬉しい時には一緒に喜んでくれて、つらい時には傍に居て守ってくれるのだそうだ。
そうやってずっと近い所で見守ってくれるのだと、住職は言う。

そうだといいなと、素直に思った。
姿が見えなくても、近くにいるのだなと思うだけで心の隙間がほんの少し塞がる。
私が見るもの、食べるもの、考え思うことをこの先も母と分かち合ってゆけるのだと思えば、心の痛みがほんの少し薄れる。
そうやって何かに縋りながら、この喪失感と向き合うしかない。

全てを引き受けると決めたのだから、母が見事に全うした生涯を讃えよう。


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