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夫と母とまぐろ⑦母と私

母はまぐろが大好物だった。
担当医から生ものが解禁されて以降、夕食にはまぐろの刺身を用意することが多かった。それをペロリと食べる。
これだけ食欲があれば、もう少し体力が戻れば、もう一度何か治療ができたりしないだろうかと考えてしまうほど、母の容体は安定していた。

6月30日。
「美味しいお寿司が食べたい」と母が言っていたのを私の夫が覚えていて、夕方に急遽三人で出掛けることになった。
夫の行きつけの回っていないお寿司屋さん。母はとても喜んだ。

私が結婚して10年経つが、夫と母の同居生活も同じく10年。
すっかり家族になった。
(ふたりのいろんなエピソードは別の記事で書いてみたい)

大通りを挟んだ駐車場から店までは夫が母をおんぶしてくれた。
私は後ろからふたりを抱えるように歩く。
「お神輿みたいやね~」と母が嬉しそうにしている。

店に着くと席に案内してもらう。
母を真ん中に座らせて、カウンター席に三人で。
席に座ると、夫と母が何やらコソコソ笑って話をしていた。
きっと時価のことでも話しているのだろう。
ふたりとも楽しそうにしているのに、どうしてだか私は涙があふれた。
何度も何度も母とは逆の方を見て涙をふく。
「まぁ~美味しいね~」と、夫にお寿司の紹介をしてもらいながら食べていたので、私が泣いていることに母は気付いていない。
「てんちゃんも食べてみてよ」と母が言う。
「美味しいね。さすが回ってないお寿司だね」
私がそう言うと、なぜか母が得意げな顔をする。
そんな様子を動画に撮った。
1分程の短い動画だけれど、母と夫が居る幸せな空間をそこに閉じ込めた。

せっかくの回ってないお寿司なのに、泣いてて味わかんなかったよ。
まぐろ美味しくて良かったね。
もっといろんな所に連れていきたいよ。
今度は私の行きつけに行こうよ。
ねぇ、もっと長生きしてよ。
相変わらず、頭を巡る言葉はひとつも言えないまま飲み込む。

店から出ると、また当たり前のように夫が母をおぶってくれた。
それを見てまた涙がでる。何もかもありがたい。本当にありがたい。
今日は何度も夫と母とまぐろに泣かされる。

母が外食をしたのはこれが最期だった。
最期の外食が三人で良かったと思う。

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