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ツイッターの<API制限>というお祭り騒ぎ

久しぶりにnoteの記事を書いている気がする。つれづれなるままに書いてみようと思ったが、「つれづれ」って何。などと考える。

最近、Twitterという愛用するSNSにおいて、<API制限>なるタイムライン読み込み不可デバフを使用者にかけてくる何かが、イーロンマスク神により唐突にもたらされた。

Twitter界では世紀末だの、ディストピアだの騒がれていてお祭り状態である。これはこれで普段なかなか体験できない楽しい出来事だなと半ば他人事っぽく観察している人を装っている。(いまだに制限は解けていないようだが、この記事を書いている現時点では以前と変わりなくTwitterが使えている。)

Twitterは主に読書垢として運用している。読書以外の意味のないこともブツブツブツブツ呟く非常に中途半端なアカウントだが、それでもフォローして反応してくださる方々には感謝しかない。いやほんとに。

<API制限>が何なのかは知らない。
が、タイムラインが読めなくなって思ったこととしては、「あー俺ってツイ廃だったんだな。」ということである。
まあ薄々気付いていたけれど認めようとしてこなかった部分である。それが今回の<API制限>によって炙り出された形だ。

”API呼び出しの回数制限を超えました”と表示されるたびに生じる胸の奥のざわめき。この得体の知れないまとわりつくような不快なものは何なんだ…?


***

タイムラインの反応はさまざまだった。

  1. え、何が起きたの?と状況がわからず右往左往する人。

  2. 避難場所として別のSNSにとりあえず退避する人。

  3. タイムラインが読み込めないという袋小路に迷い込んでも虚空に向かって呟き続ける人。

非常に美しい多様性だ。

<API制限>からしばらく経過した今は、2.の動きが活発になってきている気がする。
つまり、イーロンマスクがTwitter世界にもたらした<API制限>ディザスターは、数多のSNS世界への扉を開いてしまったのである。
これがマルチバースの興りと言われている。(言われていない)

かくいう自分はnoteという世界とTwitter世界を行き来しながら、こうして生産性のない文章を生み出している。

とはいえTwitterで繋がれたフォロワーさんとはお別れしたくないので、Twitter界が復興し、多元宇宙への扉が閉じられることを切に願う。

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