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人が人を値踏みすること 映画『傲慢と善良』

「真実は俺にとって70点」。
西澤架(藤ヶ谷太輔)は、本当はそんな言葉は吐いていないのだが、
西澤の恋人・坂庭真実(奈緒)には、曲解した他者の口からこのように伝わった。
とはいえ、架の放った言葉は、紐解くと真実を”70点の女”と値踏みしたことに変わりはない。

本作は婚活アプリを通じて出会った、結婚願望のある2人の物語だ。
しかし、婚活をしていようといなかろうと、願望があろうとなかろうと、
一度でも、恋愛を”しようと思ってした”ことのある人には、刺さる内容だと思う。

映画のタイトル「傲慢」と「善良」のうち、
順風満帆で所謂勝ち組人生を歩んできた架が傲慢を、
親の言いなりで控えめな性格の真実が善良を表しているような演出がされていた。
冒頭特に強調されるその傲慢と善良の区別の仕方に覚えていた違和感を、
真実が姿を消した後、架が真実を追う中で出会った結婚相談所の所長・小野里(前田美波里)が拭ってくれる。
台詞をそのまま覚えてはいないが、要約すると以下のような具合だ。

「傲慢と偏見」という言葉があるが、婚活をそれに準えて言うならば、
「傲慢と善良」だ。
現代に生きる人々は、自分を過小評価し、変にアピールすることなく、「ただ普通の幸せが欲しい」と謙虚で善良な一面を見せる。
一方で、いざ相手を探すとなると、目の前の相手を「ピンとこない」と言う言葉で表現し始める。
つまりそれは、ピンとこない相手=自分の価値に見合っていない人間
と言っているようなものなのである。
自己愛の強さ故に人を値踏みする傲慢さが顔を覗かせるのだ。
人間は元来、傲慢と善良とか混ざり合った存在なのである。

私はこのシーンで、心臓を直に握りつぶされるような苦しさを感じた。
なぜなら、小野里の言う傲慢と善良に、身に覚えがあるからだ。
ちゃんとした台詞を、ぜひ劇場で小野里から、いや、前田美波里の口から聞いてもらいたいと思うが、少なくとも私が要約した上記の文章だけでも、ギクっとなる人はいるだろう。
つまり、婚活に限らず”相手を選ぶ”ことをしている以上、人を傲慢と善良のどちらか片方に仕分けることはできないということだ。

架と真実も、例外ではない。
架の、真実を70点でちょうど良い相手としたことは傲慢であったが、真実の失踪後も逃げずに真実の本当の姿と向き合い、気持ちを新たにしたことは善良であった。
真実もまた、架に吐いた嘘と行動は、架を試したいという傲慢さから来ていたが、その後、元来の善良な性格を形成した所以となった環境と過去と向き合った行動は人として素晴らしかったと思う。

結果、人間の中には傲慢と善良が併存し、それは自身にも他者にもどうすることのできないことであると気がつくことができた2人は、再び手を取って未来に進んでいくことになるわけだが、気がつくことと、受け入れることは全く別物だ。
この2人はこれからも、互いのどうしようもない傲慢と善良に向き合っていくのだろう。

恋愛に限らず、人間という生き物は誰しも、どうにもできない厄介な部分がある。その厄介な部分をどのようにして”変えられないもの”であると気づき、そして受け入れるか。
どれだけの時間を費やして考えても、おそらく明確な答えは出ないのだ。
ならば、大人である私たちは、日々悩み、もがき続けるしかないのだろう。


1997年生まれ、丑年。
幼少期から、様々な本や映像作品に浸りながら生活する。
愛読歴は小学生の時に図書館で出会った『シートン動物記』から始まる。

映画・ドラマ愛は、いつ始まったかも定かでないほど、Babyの時から親しむ。
昔から、バラエティ番組からCMに至るまで、
"画面の中で動くもの"全般に異様な興味があった。

MBTIはENFP-T。不思議なまでに、何度やっても結果は同じである。
コミュニケーションが好きで、明朗快活な性格であるが、
文章を書こうとすると何故か、Tの部分が如何なく滲み出た、暗い調子になる。(明るい文章もお任せあれ!)

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