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羊をめぐる冒険

僕と親友の鼠が巻き込まれた冒険。村上春樹が書いた3つ目の長編である。これを書き終えてかれは自分が作家としてやっていけると感じたらしい。僕の読んだ四冊目の村上春樹の長編にもなった。

主人公はその必然性を明かされないままタフな出来事に巻き込まれ冒険を始めることになる。村上春樹の作品のほとんどがこういう始まり方をしている。羊の写真のところでいやに論理的な偶然性と運命性についてのクリアな描写があるが村上春樹の作品を読んでいると人が生きるという営みは自分に起きた偶然を自分なりのストーリーをつけて運命的に解釈する営みなのだという強烈な主張を感じる。

多くの作品でそうなのだが村上春樹の神秘性の描写には異常な上手さと精密さを感じる。今回の作品では羊と耳と終盤に出てくる家が特にそうだった。星のマークが入った特殊そうな羊なんていうものはどうやっても神秘的で自然がもたらした軌跡としてしか認識されない。人間は生物を作れないという(少なくとも当時の)常識からその特別性は人工ではないことが担保される。有名なクローン羊のドリーが人によって作られたのはこの本が書かれておよそ15年後の20世紀末だったがもしかしたらその研究を少し知っていたのかもしれない。耳を抽出し特別な能力と共に劇的な美しさを備えさせたのにも、普段美しいかどうかの評価の外にある部位であるという特殊性がある。最後の家のような世界から隔絶された和やかな空間は彼の長編によく出てくる気がする、地続きでありながら運命に資格を授けられた人間がタフな冒険ののちにたどり着くまさに絶界の孤島なのだ。

恋愛の描写もやけに淡泊でハードボイルドな感じだ、そういう点では羊は世界の終わりに似ている。ノルウェイやカフカはもう少し恋愛がヌメヌメした質感を持って扱われている。どちらも良いのだが。生き物に神秘性を持たせているという点でも世界の終わりとは似ている。

それにしても村上春樹はすごい。小説内の説明不可能な部分を神秘的で奇跡としてきれいなものとして読んだ後に論理的な説明を必要とせず、奇妙で神秘的なことが起こる世界の方がむしろ僕たちの生きる不合理なまでに合理的な世界より正しいのではないかと鮮明に刻印してくる。説明不足の後味の悪さが全く残らず説明しないことによる神がかり的なイメージにのみ僕らの印象は浸食される。

この小説の見えない土台として、これよりはるか以前に書かれた有名な小説が2冊あるといわれているが僕としてはまだそのつながりが見えてこなかった。三冊とも再度読み返そうと思っている。

特定の人に評価をもらうわけでもない読書感想文のようなもので思ったことをそのまま書いてしまい話があちこち飛んでしまったが僕の描写力ではもちろん村上春樹の良さなど伝えきれないので気になったら読んでみてほしい。

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