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とある医大の6年生/エッセイとか 気が向いたら小説も書くかも

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最近の記事

あけぼの、アンビバレンス

自分の意識が、本来的には共有点を持たないはずの昨日と明日を、今日というメディアを通して同時に体験できるような時間に人はそのセンチメンタリズムの頂点を迎える。儚く神秘的なその時空ははしなく漂いはじめ、決意によって払われる。つまり、昨日を選択し意識を無くすか、明日に向かって動き出すかだ。深まった夜には、深海と同じように、未知なる生命とその神秘の噴出口がある。原初の生命体が、その最も単純な姿を海底の火口に見せていたように、僕らの思想の根源が僕らに見つけられるのを待っているのかもしれ

    • 実用的な努力と宗教的苦行

      僕たちはどうしようもない現代に生きている、というより、どの時代に生きていても当時代はどうしようもないのだ。 周りの環境も僕も文化的に宗教とほぼかけ離れた世界で生きている。今は神、奇跡、神秘より人間の五感と理性が支配的な時代だ。人々は多くの出来事に、結果に、その理由を求める。そうして僕たちは信じられないほどのものを積み上げてきた。現代に紀元2021年に生きるということは紀元元年に生きることより物質的には明らかに楽だといっていいだろう。にもかかわらず、このおよそこの2000年間

      • Ⅱ.男性とその静かな死

         二週間の実習は僕を、というよりも六年生全員を、予期せぬ長期休暇から叩き起こすのに十分だった。当然のように機能的な月曜日は僕らの前に顔を見せ、彼によって僕たちは強くなりだした日の光を吸って学校に向かわざるをえなかったのだ。  朝の8:30に病棟のナースステーションに集合した六年生六人は手持ち無沙汰に上級医を待っていた。せわしなくその役目を遂行する人々にあふれたナースステーションにおいて、時間を滞留させる権利を持っていたのは僕らだけだった。先生が来ると六人の学生は二人と二人と

        • 羊をめぐる冒険

          僕と親友の鼠が巻き込まれた冒険。村上春樹が書いた3つ目の長編である。これを書き終えてかれは自分が作家としてやっていけると感じたらしい。僕の読んだ四冊目の村上春樹の長編にもなった。 主人公はその必然性を明かされないままタフな出来事に巻き込まれ冒険を始めることになる。村上春樹の作品のほとんどがこういう始まり方をしている。羊の写真のところでいやに論理的な偶然性と運命性についてのクリアな描写があるが村上春樹の作品を読んでいると人が生きるという営みは自分に起きた偶然を自分なりのストー

        あけぼの、アンビバレンス

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          努力の効能

          童話「アリとキリギリス」は、努力して何かをえた主体が恵まれ、怠惰に過ごした主体が罰せられる、ということを伝えたかったわけではないと思う。 「勉強のやる気がでません。」 大学生で個別指導のバイトをしているだけの僕が、多くの先生を悩ませてきたこの古典的な良問に明解で判然とした答えを用意するのは荷が重い。質問してきた生徒は典型的な問題児というよりむしろ優等生だった。都内の名門女子高に通う彼女はとても察しがよく、僕が定型的に生徒に使う「今頑張れば将来楽できるよ」という文言は彼女のた

          努力の効能

          Ⅰ.「正常」と「ものぐるひ」

          機能的な月曜日がやってきたのはずいぶん久しぶりのことだった。4か月間の間学生の僕はまるで高速道路の休憩所に人知れず取り残されたかのようにして社会の時間においてけぼりを食らっていた、きっと僕以外の学生の中にも同じ人がいるだろう。1年前に流行り始めた感染症の影響は大きかった、それでもなお多くの組織はその機能の幾ばくかのを取り戻しているように見えた。過度に悲観的になりたくはないが大学の医学部は高学年の医学生への教育機能を、その神経質な性質から、未だ取り戻せずにいた、と思う。  そ

          Ⅰ.「正常」と「ものぐるひ」

          0.まえがき

          0.まえがき