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死についての雑考

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#死

「死にたい」は思い込みなのか

「死にたい」は思い込みなのか

「ものは考えよう」という言葉は、何にでもよく使われる言い回しですが、「死にたい」という気持ちも、考えようによっては「生きたい」という気持ちの強さの表れだと捉えられることもありますよね。
けれども、全ての「死にたい」という気持ちが生きたい気持ちにつながっていると、私は思いません。

私自身、「死にたい」という気持ちは、「生きたくない」気持ちと「死ねない」という気持ちが混ざりあった時に生まれます。

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死に方を語らいあう日まで

死に方を語らいあう日まで

私は死にたいとは思いつつも、未遂といえるまでの行動をしたことがありません。
ちょっと首を吊ってみようかな〜、とビニール紐で自分の首を括ってみたことがありますが、喉仏に紐がくい込んで咳き込んでしまいました。こんなもので死ねないとわかった上での行動でしたが、こんなものでも意外と苦しいもんなんだな、と感じました。

駅のホームから飛び込んだり、ビルから飛び降りたりもしてみたいと衝動的に思ったことはありま

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初めて考えた死

初めて考えた死

死ぬことについて考え始めたきっかけは、思い出せる範囲で思い出すとすれば、「いじめ」という至ってシンプルなものでした。

私がいじめだと勝手に勘違いしていたのかもしれませんが、授業中に教科書を取られる、取り返したければ何故か謝らないといけないので謝ると「なんで謝ってるの?」とからかわれる。そんなことの繰り返しでした。
すっかり引っ込み思案になった頃、「何かしゃべれよ」と言われてモゴモゴとしていたら「

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理想の死に方

理想の死に方

「申し上げにくいのですが...」
医師からの前置きの言葉に、私は全てを悟った。
「検査の結果、現在の医療では治療の施しようがない病気です。余命は2ヶ月と考えてください。」
なるほど、未知の病気で私は死ぬのか。死を目前にして、ある意味希少な存在になれたではないか。

「ただ、この病気は症例が少ないので、明確なことは申し上げられませんが...」
さすがに死ぬと言われると頭がふわふわしてきたが、続けられ

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死ぬことを「保留」にする

死ぬことを「保留」にする

いつからか、ふとした時に死について考える事が、私にとっては生きていく上で欠かせないものになってしまっています。死ぬことを全く考えない(考えたくない)人にとってはそれが全く理解できないと思いますが、逆に私もそういう人の思考を理解することはできないのだろうと思います。

普段生活していると、なんの前触れもなく「死にたい」という気持ちに襲われることがあります。
今死んだらどうなるか、どうやったら死ねるだ

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