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早く人間になりたい、いや、人間をやめたい

「はやく にんげんになりたい!」

かの有名な作品『妖怪人間ベム』のセリフですね。


ところであなたは、人間になりたいと思ったことがありますか?

「何を言ってるんだ?」と思った方、鋭いですね。別段私は日本語を読解できる人外生命体を募っているわけではございません。

というのも、私はこれまで「早く人間になりたい・・・」という”人間の”声を聞く機会が多かったのです。そして対照的に昔の私は「早く人間をやめたい・・・」と思い続けていました。

このnoteの執筆はそれらを整理してみようという試みです。



まず「早く人間になりたい・・・」に省略されたフレーズを補完すると概ね次のようになるかと思われます。

「(自分は周りの人たちよりも劣っている、何も出来ないダメ人間だ。はあ、)早く(なんでも一人前にこなせるちゃんとした)人間になりたい・・・」

こう呟く方は往々にして自己肯定感が低く、ネガティヴに考えがちです。私などからすれば「あなたがたも素敵な人間だと思うんだけどなぁ」という気持ちですが、当人達はそうは思えないようです。幸せになって欲しいですね。



一方の「早く人間をやめたい・・・」を補完すると次のようになります。

「(人間は醜悪だ、その社会も醜悪だ。自分がその同類だなんて耐えられない。しかも同じように社会に組み込まれているだなんて。)早く(人間を超えた存在になることで)人間をやめたい・・・」

ここから少し自分語りをします。16歳頃の私は肥大した自意識に押し潰されかけ、いつ虎になってもおかしくないといった様子でした。たぶん。


同級生たちを見下し、先生たちを見下し、見える景色全てに悪態をつきながら生きていました。今思い出しても恥ずかしい。タイムワープしてぶん殴りたい気持ちです。ぶん殴ったとて何も変わらないでしょうが。

人間が嫌い。自分が生きるのが苦しいのは全てお前達人間のせい。そして自分自身もそんな人間たちと同じ種族である人間。

そうだ。自分が人間だからいけないんだ。同じ人間だから同一の環境に閉じ込められ、苦しんでいるんだ。人間をやめればこの苦しみから逃れられる。こいつら人間どもよりも優れた存在になりたい。人間をやめたい・・・


そんな風に思っていました。つまり私の「人間をやめたい」は、「逃げたい」とか「死にたい」とかに近い感情でした。希死念慮と中二病が合体した感じでしょうか(当時高1くらい)。

いやぁ、かなりイタい・・・。人間やめる前にまずは人間になれよ、と言いたいですね・・・。

ついでにもう少し恥を晒しますと、上記の考えと前後して私はこうも思っていました。「完全な存在になりたい」と。

中学に上がるくらいから私の頭の中で「なぜ人は生きているんだろう?なぜ生きねばならないのだろう?なぜ人生は苦しいのだろう?」といった哲学的問いが頭をもたげてきました。厄介な事この上ないですね(ですがこれを読んでいる方は共感する所もあるのでは?)。その無限の疑問を晴らすべく、当時の私は本を読んだり大人に訊ねてみたりしました。しかし疑問は消えるどころか増える一方。膨れ上がる知的好奇心と格闘する中で、ある時、私は一つの結論に至りました。

「この世の全てを理解するには、不老不死になるしかない」


あらゆる哲学的問いとその答えを理解する、それを成し遂げた者こそが私にとっての完全な存在でした。その高みに到達するには無限の時間を要すると思われました。ならば永遠の命が必要。当然ですね。

この結論を得て以来、不老不死は私にとっての唯一の希望でした。不老不死の達成確率がどんなに低かろうともそれによって得られる寿命の追加分は無限なので、期待値のパラドックス(サンクトペテルブルクのパラドックス)が発生します。私の人生は、実現するか分からない不老不死に残り寿命をオールインするギャンブルとなりました。

実際、高校3年で進路選択をする時(その手前で不登校、鬱とか色々あったけど割愛)、「不老不死になりたいから」という理由で某大学の生命科学部に進学しました。理由は恥ずかしくて当時は誰にも言いませんでした。ギャンブルをしているという自覚はありましたが、同時にそれだけが希望であり、不老不死に資さない事は全て無意味・無価値と思っていましたので消去法で進路決定しました。


そうして不老不死になるべく勉強を開始しましたが、数年後「不老不死なんて無理やんけ!」と悟ることになります。生命科学を勉強すればするほど、いかに人間の体が死を前提にプログラミングされているかを実感しました。生命は複雑です。たとえ、細胞分裂する毎に短くなるテロメアを伸長したところで、他のタンパク質との関連の中で様々なフィードバックを受け、必ず死を迎えるような仕組みになっていました。そういったタンパク質が何千何万とあり、それぞれが関連し合っている・・・分析対象の数は天文学的です。

「これを解析し切るには数百年〜数万年かかるだろう。自分の寿命を全て費やしたくらいではとても・・・」

この話をエデン(私が働いているバー)でしたところ、お客さんから「それを悟った時、絶望しなかったんですか?」と聞かれました。不思議と絶望は軽かったように記憶しています。おそらく、色々なテーマの講義を受ける中で少しず〜つ現実を理解していったからだろうと思われます。歪んだ人類が現実を受け入れていく営みには、長い時間が必要ですからね。教授たちに感謝です。2留したけど。

そんなこんなで現実との折り合いをつけ、たくさんの嫌いな人間・好きな人間と関わり、就職・退職・就職・退職をし、精神病になり、気付いたら意味不明なバーをやっています。いつの間にか「人間をやめたい」という気持ちは薄まっていました。しかし先日、すごく一般人的なおじさんに「あんた、最初は普通の人やと思ったけど、こんな変やったなんて、全然普通とちゃうやん!!w」と言われました。その時なんだか”普通の人間”をやめることが出来たのかなぁという気がして、少し胸が軽くなりました。


あなたは、人間ですか?人間になりたいですか?人間をやめたいですか?

そのお話、是非エデン難波で聞かせてください。

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