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「窓辺にて」僕には必要な映画でした。

『窓辺にて』あらすじ
フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。

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 今泉力哉監督の「窓辺にて」を観ました。とても静かで、とても素敵な映画でした。2時間24分あって長い映画なのですが、静かなのに、静かだから?まったく飽きたりはしませんでした。
 元小説家でフリーライターの市川は自分の妻が浮気していることに気づいても、そのことにショックをうけるのではなく、妻の浮気にショックを受けない自分にショックをうけて悩みます。
 市川も含めて、この映画では誰かが自分の悩みを他者に相談する場面が多く描かれます。相談されて真摯に受け止める人も、相談されたことで悩む人も、悲しむ人も出てきます。それがとてもリアルだし、残酷だし、素敵でした。

 僕は人に何か抽象的なこと、特に自分の感情に関することを話すとき、しゃべるスピードが遅くなります。言葉を発した後で、もうちょっと自分の感情に近いニュアンスの言葉を探して、「ごめん、さっきのちょっとちがうわ。」とかをよくいいます。
 この映画の中で、主人公の市川と小説家の久保の2人は、誰かに「あなたが言ってることってこういうことですよね?」みたいな質問をされたとき、「いや、それも微妙に違って。もっとこう~」と答える場面が物凄く多かったです。
 これは、2人が言葉の強さと怖さを信じているからだと思いました。当たり前のことだけど、Aという言葉は、Aという言葉がもつ意味以外の意味を表すことができません。でも実際の感情は絵画みたいに、いろんな色の絵の具が重なり合ったり、混ざり合ったりしたものだと思います。だから自分の感情を言葉で表すことは本当に難しいんだと思いました。
 ただ、この2人は言葉を怖がってるだけじゃなくて、言葉の素晴らしさも信じているんだと思います。2人が言葉を使う職業についていることがその証明だと思います。創作者と作品を混ぜて認識するのは良くないことだとわかっているんですが今泉監督が自分のツイートを一定期間で消す理由にはこういうものも含まれているのかもしれないと思いました。

 僕はちょっと前に「トップガン マーヴェリック」も観ました。すごくおもしろかったです。あの映画は観客たちが心を一つにする映画だと思います。資本主義の魅力的な部分の考え方を持った登場人物たちが、一つの目標に全力疾走する映画でした。
 じゃあ、「窓辺にて」はどうか。観客が気持ちを一つにすることはないと思います。だから、トップガンみたいな盛り上がりをみせることはないと思います。でも、たしかに、「文化祭」とか「体育祭」みたいな愛され方はされないかもしれないですが、「いつもの昼休み」みたいな愛され方はされると思います。そういう映画です。

長々書きましたが、多くの人に見てほしいです。おすすめです。


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