「健康」のはたじるし
仕事上、ご高齢な方と関わる機会が多い。付随して、そのご家族や事業者とのお付き合いも必然的に多くなってくる。つねづね感じることだけど、価値観は本当に多様だ。在宅生活するという一つのことをとってもそう。何を優先するのか、立場や見かたによって物ごとは全く違う様相を見せる。
また、自分と相手が同じ「言葉」使っていても、どう言う意味で捉えているか全く違うことがある。
例えば、「健康でいたい」「健康になりたい」。
よく聞くし言いがちだけど、その言葉だけではいったいどんな状態なのかが曖昧すぎる。その状態を目指していくときに、どこを目指していくべきか必ず迷うはずだ。
きっと、無意識的・盲目的に「健康」という状態にとらわれていることもあるだろう。そうならないためにも具体的に「健康」という状態が自分にとってどんな状態か自覚していたい。
例えば僕の場合は、
走りたい!と思ったら心地よい疲労を感じる程度で10km走れる体力を向こう30年は維持したい。
歳を重ねれば、それなりに病気はするはず。受け止めつつ、うまく付き合っていきたい。
大切な人と美味しいものを食べて一緒に喜びを分かちあいたい。そのためにも歯は大切にしていく。
月に1回は自然の中に自分の体を放り投げて、自然とのつながりを感じたい。
いつまでも出会いやできごとに感動する好奇心をずっと持っていたい。わかったつもりの姿勢になっていないか、自覚的でありたい。
こうやって書き出していくと自分の欲もでてくるもので、何かひとつのことをちゃんと成し遂げたい!困らないぐらいの金銭的余裕は欲しい、余るほどは要らないけど欲しいもの・必要なものは手にできるほどのお金は稼いでいたい。有名になりたい訳じゃないけど、その道では名が知れてると嬉しい。などなど。
自分がどんな、肉体的・精神的・社会的健康状態を良しと感じるのか?具体的に何はゆずれなくて、何はあきらめられるのか?その選択は自分にしかできない。納得のいく健康の程度は自分で決めるべきで、決めることができるんだと思う。きっと、まずはそこから。