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ahamoなどで広がる格差 値下げ実感できないに思う

NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクのオンライン専用プランがスタートして1カ月になろうとしている。この時点でいろいろと課題も見えてきた。
(上記記事より抜粋)

ざっくり言ってしまうと、ネット(IT)リテラシーが低いと値下げの恩恵に与れないないので料金に格差が出てしまう、国民のネット(IT)リテラシーの向上が肝要という話なんですが、ネット(IT)リテラシーの向上に国がお金を使うことの正当性は理解されにくいのではないかと思ったので、その辺りについて書いてみようと思います。

富の偏り

ピケティ以降、富の再分配の必要性はなんとなく認知されるようになったと思います。富と言うのは本人の努力にかかわらず手に入ったり、入らなかったりするものなので、多く得ている人の富は、得られていない人に再分配をする必要があるということだと私は認識していて、同じ様に考えている人も多いと思います。

知の偏り

では、リテラシーはどうなのかと言うと、これも本人の努力にかかわらず高かったり、低かったりするものなので税金を使い底上げすべきだと私は考えています。ただ、同じように考えている人は少ないのではないかと思います。

この根底には知識の獲得は富と違い、本人の努力次第でどうにでもなるという考えがある気がします。ただ、実際のところ本人の育ってきた環境や、資質によってリテラシーの高い・低いは決まってしまいます。そして、リテラシーが低いと、向上方法が分からず「服を買いに行く、服がない」現象が起こり、高い人とのリテラシーの差はさらに広がっていきます。

個人の話をすると分かりづらくなるので世代で話をしてみると、令和の子供たちは、情報の授業でネットリテラシーを学びます、逆に昭和の子供たちは情報の授業でネットリテラシーを学ぶことはできませんでした(ネットが一般的ではなかったので当然ですが)、ここで昭和の子供と、令和の子供にはネットリテラシーの差が出るわけですが、昭和の子供が努力不足かと言うとそういうわけではないのはご理解いただけると思います。

また、リテラシーの高い人から知識を国が取り上げて、リテラシーの低い人に配る「知の再分配(SFでありそうですが)」ができればわかりやすいのですが、実際には色々な意味で不可能です。なので、リテラシーの低い人の教育に税金を使うことになるのですが、この時の起こるリテラシーとお金の変換も理解を得辛くしている一つの要因だと考えています。

知の格差が、富の格差を生む」というのは昔から変わらないことなのですが、そこを課題として取り上げている記事を見かけることが多くなったので思ったことを書いてみました。

#日経COMEMO #NIKKEI

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