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多様性を意識して他人をリスペクトしたい

以前、苦しみや悲しみへの耐性は人によって違うのではないかと書きました。

例えば、学校に行くことがとても辛く、学校へ通わない道を選ぶ人がいたとしても、私は、「それでも頑張って通い続ければ、良かったと思える日が来るかもしれないよ」とも思うし、「そんなにつらい思いをしてまで学校に通わなくても、人生を有意義にすることはできるよ」とも思います。

どちらもありと思うのは、似たような境遇でも人によって感じ方も違うし、良かった、悪かったと思うポイントも違うと思うからです。

だから私は自分の経験を人に語ることはできますが、どちらが良いとか、こうするべきであるとか、無理に人に勧めることはしたくないと思っています。

できれば苦しみ悩む人たちが、いろいろな人の経験を聞いたり相談できたりする機会が沢山あればいいなと思います。

そして、選択肢はたくさんあったほうが良いと思います。多様な支援策も。

学校に行きながら辛いことを何でも相談できるような支援策。学校に通えない時、相談したり、勉強や社会性を学べたりできる支援策。どちらの道を選んだとしても、生きていくために必要な知識や社会性が身に着けられるような多様な支援策。

どちらが良い、悪いではなく、多様な人たちが多様な方法で必要な支援や援助を受けられるような環境を作っていくことが大切なのではないかと思います。

学校に行けない人を励ますのもよし。学校へ通って頑張る人を応援するのもよし。支援される人も支援する人も、他の道を選んだ人を貶めるのではなく、ただ多様な生き方をリスペクトをしていけば良いのだと思います。

もし多様な生き方を認められない社会なら、人の人権を踏みにじることを何とも思わない社会なら、そしてそのようなことを学ぶ機会を用意できない社会なら、それこそ私たちはその間違いを正し、良くしていくように声を上げるべきなのだと思います。

人の人権を尊重する限りにおいて多様な生き方を認め、自分との意見の違いにも寛大でおおらかな社会になってほしいです。

そんな社会づくりに貢献するには、私も日々、多様な生き方を知る必要があるなと思います。私の常識は多くを語るにはまだまだ狭い。。。

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