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素直な心の叫びを歌に。"愛"がこの世にあるのなら。 | The Days after 3.11

誰かに全てをわかってもらうなんて、
到底無理だと思っている。
けれども、どうしようもなく自分を
受け入れて欲しいと願う瞬間はある。

シンガーソングライターの牛来美佳さんの曲は、そんな素直な心の叫び声を受けとめてくれるようだった。
ただただ美しくて、うっかりすると、
涙が溢れ出てしまう。

先日、「連合群馬ふれあいフェスティバルinおおた」に参加し、牛来さんのステージを見に行った。

もうね、とっても素敵だった。
ほかほかの気持ちを抱えて帰り、
少し時間がたった今だからこそ、
あの時と今の感情を書き留めておこうと思う。

牛来美佳 (ごらい みか)
福島県双葉郡浪江町出身。
2011年3月、東日本大震災の原発事故によって故郷だった浪江町を離れ、太田市に避難。
本当になんともなかった当たり前の日常がなくなってしまった経験の中で、 伝えるべきことを伝えたい、伝えるための歌を歌いたいと決心し、幼少期に夢見ていたシンガーソングライターとしてデビューした。

わたしは取材でお会いしたことがあり、
牛来さんのあたたかい視線、
やさしい人柄に魅了された。
しかし生歌はこれまで聞いたことがなかった。
画面越しでも心を揺さぶるのに、
直接聞いたらどうなるのだろう。
到着前からワクワクが止まらなかった。

一曲目は、"傷ついた分だけ"から始まった。

きっとその傷が、他の誰かの未来をつくるんだ
だから全てのことに意味がある

軽やかな曲調にのせて、
頑張れという言葉がなくても、
本当に前向きにさせてくれる曲だと思った。
傷んだ心も、少しずつ少しずつまた前を向いてくれる。
優しい気持ちになれる。
大丈夫だという気持ちになれる。
そんなメッセージを受け取った。

やっぱり生歌は最高だったし、何より牛来さんが想いを込めて歌う姿に胸を打たれた。

わたしが心に残ったのは、"菜の花のきみへ"
これは震災で被害があったある家族の話をもとに制作された。

(詳しくは以下へ。)

なんでこんな優しい歌い方ができるのだろう。
純粋にそう思ってしまった。
近い存在ほど感謝を忘れて、自分本位になりがちになってしまいそうだけど、
大切な人がそばにいることは当たり前でなく奇跡だということ。
いつも忘れずに生きていきたい。

そして代表曲、
"いつかまた浪江の空を"
震災で離れざるを得なかった故郷で、
またみんなが集まり、浪江の空の下で笑い合えたら。
当たり前の日常を突然失くしてしまったが故に、その尊さと想いが綴られている。

この記事をかいた帰り道、
私は牛来さんの出身地である浪江で、電話をしながらふと空を見上げた。
すると雲ひとつない青空がとても綺麗で。
だけどわたしは、昨日の空の色も、
その前日の空の色も思い出せなかった。
それほどに心に余裕がなかったのかなと、少し虚しさを感じてしまった。
日常で空を見上げると、この空の下が自分の場所なんだ、そう思える気がする。

日常はするりと過ぎ去るから、当たり前になってしまう。
だけど牛来さんが語るように、「当たり前」の中に隠れた小さな幸せを噛み締めて生きていきたいと思う。

*****

牛来さんの歌をきいて、1年半前の冬を思い出した。

止まることの無い電車に揺られて、
このまま自分の知らない世界に行けたらいいのに。
ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られながら、わたしは人知れずいなくなってしまいたい。
そんな風に、悪いことばかり考えてしまう時があった。

当時はまだ牛来さんとは出会っていないけれど、あの頃の自分に聴かせてあげたい音楽だと思っている。
他人のイベントレポートに、一個人の体験談を入れるのはどうかとは思うけれど、わたしは牛来さんを、"震災を乗り越え、人々に感動を与えてくれる存在です!"
というように、単なる感動ポルノとして
発信したいのではないからこそ。

牛来さんは、
東日本大震災により故郷から避難し、
出口のみえない暗いトンネルのように
彷徨い続けた日々があった。
震災を経験していないわたし達には分からない、感情もあっただろう。
けれども、牛来さんの歌には震災を経験していない人にも響くメッセージがあると思う。

例えるならば、
誰かの心にたくさんの雨が降っていて。
そんなときにそっと傘をさしこんであげるような音楽だ。

あの頃のわたしは、毎日が本当に辛くて、
朝起きると「また今日が始まってしまった」
と体調を崩してしまうことが多くなっていた。でも牛来さんの音楽を聴いている姿を想像したら、心がリラックスしてもうちょっと頑張ってみようかなとか、そんな風に思える気がする。

結局のところ、わたし達は生きるために生まれて、それ以上でもそれ以下でもないかもしれない。
けれども、この世で生きるに値することを
証明しなければ、もしくはその意味を見つけられなければ、
生きることが恐ろしく虚無に見えてくるのが今の社会だ。

The Days After 3.11では、
東日本大震災後に人々が生きる姿を描いているけれど、それは誰しもが必ず生きる目的を
見つけないといけないというメッセージでは決してなく。

生きていくことの
幸せ、喜び、愛する力、暗さ、悲しさ、
それを乗り越える力など、いろんな心を描きたいと思っている。
その心を感じる、楽しむということは、
もう十分生きる意味であるのではないかと。牛来さんはまさにそれを体現しているというか
(本人が意図していなくても)、
誰よりもその"心"を大切にしている人だと思う。

ちょっと暗くなってしまったかしら。
でも冒頭に述べたように、牛来さんの音楽は、どんな自分も受け止めてくれるような心地よさを感じる。
そしてまっすぐな歌詞を聞くたびに、気持ちを言葉にだしてもいい、心の痛みはいつか愛になりうるということを教えてくれる気がするんだ。

*****

もしあなたが、夢が指の隙間を通りぬけていくのを、拾う気力もなく眺めているとしたら。
もしあなたが、痛みを隠して社会を生きようと奮闘しているのなら。
もしあなたが、愛なんてこの世に存在しないんじゃないかと思うのなら。

今夜はぜひ、
あなたの心が落ち着く空間で、
一人ゆっくりでも、
大切な人と一緒にでも、
牛来さんの音楽で心を感じてみてはいかがだろうか。

最後に牛来さんと!

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