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「多摩湖」「狭山湖」は西武鉄道がつけた名前!【4/5は多摩湖鉄道開業日】


本日、4月5日は西武多摩湖線が開業した日です。
西武多摩湖線とは、東京都西部にある国分寺駅から西武遊園地駅までの9.2kmをむすぶ、西武鉄道の路線です。

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多摩湖線の変遷

1928(昭和3)年の今日、国分寺駅から萩山駅へと至る電車・多摩湖鉄道が開業しました。のちの西武鉄道のオーナーである堤康次郎率いる箱根土地の傘下の鉄道会社で、多摩湖への観光路線として敷設されました。

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途中駅は桜堤駅、小平学園駅、青梅街道駅の3駅で、線路の長さはわずか4.4kmでした。2年後には村山貯水池駅まで延伸しました。これは現在の武蔵大和駅にあたります。

1940(昭和15)年には、同じ箱根土地系列の武蔵野鉄道に合併。その後、箱根土地が西武鉄道の経営権を獲得した関係で、1946年には武蔵野鉄道の路線も西武鉄道に一本化されました。

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このへんの変遷は結構複雑なので、いずれ別の記事で詳しくご紹介できればと思います。

今回は、この多摩湖、そしてこの多摩湖線にまつわる雑学です。

人工の貯水池だった多摩湖・狭山湖

この多摩湖線の名前にもなっている多摩湖は、東京都の東大和市にあります。横には狭山湖(埼玉県所沢市・入間市)が隣接し、桜や紅葉など四季折々の表情を楽しめる自然豊かな観光地です。休日になると、散歩やサイクリングを楽しむ人々がたくさんいます。

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この多摩湖・狭山湖は、「湖」と名前がついていますが、じつは自然にできた湖ではありません。東京の人々の飲料水を確保するためにつくられた人工の貯水池だったのです。多摩湖は1927(昭和2)年、狭山湖はその7年後につくられました。正式名称も、多摩湖は「村山貯水池」、狭山湖は「山口貯水池」と言います。地元にあった村の名前にちなんで名づけられました。

ここでひとつ疑問が浮かびます。
地元にちなんだ正式名称があるにもかかわらず呼ばれている、多摩湖・狭山湖という名前は何なのでしょうか。いったいなぜわざわざ別名がつけられたのか、じつはこれ、鉄道会社の仕掛けだったのです。

鉄道会社が「湖」命名

昭和初期につくられた当初は、この村山貯水池に別名はありませんでした。
ところが周辺の観光地化が進むにつれ、「観光地にふさわしい名称にすべきだ!」との声が上がりました。「東村山湖」などの候補も例として挙げられましたが、このときはなぜか改称が立ち消えとなってしまいます。

しかしその後。箱根土地が勝手に「多摩湖」という名称を使うようになります。「多摩川の水が貯水池へ引かれているから」という理由ですが、観光地としてアピールしたかったという腹積もりもあったのでしょう。冒頭で紹介した現在の西武多摩湖線も、「多摩湖鉄道」というネーミングでしたね。これが開業したのは、村山貯水池が完成したわずか翌年です。

このときは村山貯水池と山口貯水池の両方を「多摩湖」と勝手に呼んでいただけで、あまり世間に浸透していませんでした。しかし戦後になると、大きな改称キャンペーンをするようになります。

大規模な改称キャンペーン

1951(昭和26)年、西武鉄道は貯水池の横で運営していた東村山文化園という遊園地を「西武園」へと改称しました。いまの西武園ゆうえんちです。これが貯水池の改称キャンペーンへとつながります。

じつはその前年、毎日新聞が「日本観光地百選」という人気投票を行い、湖沼の部門で村山・山口両貯水池がなんと32万票も集め、日本全国で5位に入選していたのです。貯水池の観光開発を行っていた西武鉄道としてもこの高ランクインはびっくりでした。ここでなんとしても、もっと観光地として世間に広めたい、そう考えた西武鉄道は、人気投票を行った毎日新聞とタッグを組み、大規模な改称キャンペーンを展開していくのです。

池袋駅の構内には「観光地にふさわしい名称をつけてください」と書かれた看板が置かれました。さらにアンケート用紙が配られ、多摩湖・狭山湖への改称に賛成であれば○を、ほかの案があればその名称を記入するようになっていました。

地元からは反対意見も

改称が前提となったキャンペーンには、反対の声も上がりました。確かにちょっと強引すぎる気もしますね。貯水池は西武鉄道のものではありません。東京都民のなかでも、とくに地元の反対が多かったそうです。正式名称の「村山」「山口」は地元の村にちなんだ名前であるため、愛着もひとしおでした。

しかし、大手私鉄と全国紙の力の前では、地元住民の声など無力。改称キャンペーンを強引に押し切り、いちおうアンケートもとっているので、多摩湖・狭山湖という別名が広まることとなりました。
ただし、貯水池は東京都の施設でしたので、改称と言っても形だけ。村山・山口の正式名称が変わったわけではないので、現在のように2つの呼び方が併存する状況になったのです。

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一見すると、自然の湖かと思いきや……。湖自体も人工だし、名前も大人の事情でつけられたものだったとは、意外な事実でしたね。

参考資料:

『社史に見る東京の私鉄を歩く』藤本均(冬青社)
『武蔵野歴史めぐり』TAMA3ぶんかざいユニット編著(七賢出版)
『企画展図録 湖郷 狭山丘陵の「多摩湖」「狭山湖」をめぐる5つの話』(東村山ふるさと歴史館)
『東大和市史資料編2 多摩湖の原風景』東大和市史編さん委員会編(東大和市)
『東村山市史2 通史編 下』東村山市史編さん委員会編(東村山市)
「東村山市史研究 第13号」東村山ふるさと歴史館(東村山市)

Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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